2011年(平成23年)10月10日号

No.517

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茶説

極端な状態に最も早く変化があらわれる


 

牧念人 悠々

 システム生物医学者の児玉龍彦さんはその著書「内部被曝の真実」(幻冬舎新書)で「最も早く変化の意味を知るには、極端な状態をみるとよい」と指摘する。これは「複雑系の問題の解き方と極めて類似している」とも言っている。聞くべき意見である。
昭和30年代、熊本の水俣病の時、原因について様々な説が出た。様々な原因説を報道する新聞に公害学者・宇井純さんは「新聞記者もせめて現場に半年ぐらいとどまって取材したらどうか」と言っていた。水俣の人たちは患者が出はじめたころから「チッソの工場の排水があやしい」と言っていた。現場には真実が隠されている。宇井さんは『6ヶ月の現場滞在取材』を説いた。福島第一原発事故の際、新聞記者は現場からよもや逃げ出すようなことをしておるまい。

 チェルノプイリでは事故直後大量のヨウ素131が大量に散布された。ヨウ素131による汚染がミルクを通じて小児の甲状腺に蓄積、多数のガン患者を出したのに疫学的証拠を集めるのに20年も掛かった。その時すでに小児ガン発症は終わっていた。ところが、この間、普通では起こりえない「肺転移を伴った甲状腺ガンが小児に次から次へと見られた」。ここで終末型の変化を実感することが極めて重要である。極端な現象に注意を払えと言うことである。だから児玉さんは福島の7名の母親の母乳から2〜13ベクレル(1リットルあたり)のセシウムが検出されたことに驚き注目する。

 極端な現象に注意するのは何も医学だけではない。「凶悪な事件に変化の芽がある」と言われる。些細な犯罪は見過ごされるが、凶悪事件にはその時代に住む人間の弱さ、病的な体質、家庭の絆の希薄さなどその時代の社会の病理が端的に表れる。評論家大宅壮一さんは「芸能ニュースは政治現象を先取りする」と評した。著名芸能人の喜怒哀楽、不祥事が芸能界では他の世界より先に爆発・発生する。所詮、政治家も人間である。いずれ類似事件が起きるであろうと予測するのである。

 東京大学アイソトープ総合センター教授の児玉さんは今回の東京電力第一原発の水素爆発による放射線の熱量を調べると、広島原爆の26.6個分に相当するものが漏出している。ウラン換算では20個分が漏出していると換算されるという。さらに原発からの放射線汚染物の残存量は原爆の場合が1年たって1000分の1であるのに、10分の1にすぎないという。つまり汚染物の残存量が原爆より多いというのである。「さしあたり健康には余り問題にならない」という政府発表は鵜呑みには出来ない。原爆を投下された広島でもイタイイタイ病のカドミウム汚染地区でもそれぞれ除土を行った。福島原発で汚染されたところを除土していくほかない。チェルノプイリ事故と違って死者を一人も出していないが、国土を元通りにするには莫大な費用がかかり、放射能汚染との戦いは長くつづく。国のやるべきことは山積している。政治はこれで良いのか。暗い気持ちにならざるをえない。