2010年(平成22年)12月10日号

No.488

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追悼録(402)

井上ひさしさんの遺言


 亡くなった井上ひさしさんのお別れ会が開かれら時(今年7月1日・東京會舘)、丸谷才一さんが弔辞の中で「井上文学」を次のように評価した。『文芸評論家平野謙は1930年代の日本の文学を「芸術派」と「私小説」と「プロレタリア文学」の三つに分けた。現代文学の潮流をこの三つの分野で展望すると、井上文学は明らかに「プロレタリア文学」である。当時よりははるかに上質なものである。彼の志は弱者の味方にあった。彼はいつも大衆の一員であり,一人の庶民だった』。彼の芝居を見続けてきた私は舞台で演ずる役者のセリフの一つづつ心にとどめている。まさに丸谷さんの言う通り「弱者の味方」であった。 彼の最後の作品となった小林多喜二を描いた「組曲虐殺」を見ている(2009年10月5日・天王洲・銀河劇場)。「蟹工船」を読み直した。彼が倒れたのはそれから14日後の10月19日で、湘南鎌倉病院で「肺ガン。病期が第3ステージB」と診断されたのは10月29日であった。亡くなったのは翌年の4月9日、75歳であった。 私に知的刺激を与えてくれた得難い人物であった。

 手元にある月刊誌「文芸春秋」7月号に掲載された「井上ひさし絶筆ノート」を読みかえす。11月2日に茅ヶ崎徳洲会総合病院内科に入院する。第2日以降に次のような言葉が綴られている。「過去は泣き続けている―たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので。過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から軽んじられる 過去は訴えつづけている 東京裁判は不都合な物はすべて被告人に押しつけて、お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式だった。先行きが分からないときは過去をうんと勉強すれば未来は見えてくる 疵こそ多いが血と涙から生まれた歴史の宝石」これこそ井上久さん遺言である。

 東京裁判については私と意見が異なるが一つの見方として認める。「過去を勉強する」事には大賛成である。必要で大切なことである。もっともっと歴史を学びたい。最近友人の前沢功君からいただいた手紙には同期生上原尚作君の手紙のコピーがあり、次のように書かれていた。「この井上ひさし記録文は、私が太平洋戦争の戦後、『何故日本は負けたのか』を自分なりに納得したいという思いから、長年にわたって、いろいろな書物や資料を読みあさった基本にある気持ちと、全く軌を一にするもの思われます。そのような思い上がりから、私は、亡くなった井上ひさしさんから励ましを受けたような気がして、興奮してしまいました」。同期生の中に井上ひさしさんに共感する者がいると知って嬉しくなった。

(柳 路夫)