2010年(平成22年)8月1日号

No.475

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花ある風景(390)

並木 徹

 井上ひさしの「黙阿弥オペラ」を見る

 
 こまつ座・ホリプロの「井上ひさし」追悼公演「黙阿弥オペラ」を見る(7月21日・紀伊国屋サザンシアター)。2度目である。「仁八」そば屋だけ覚えている。他は記憶から抜け落ちている。銀行の倒産、古いものと新しいものとの衝突・苦悩、現代と通じるものがある。この作品を象徴するのが「御恩送り」である。お芝居を見て感激・共感した、「御恩送り」は私が「井上演劇」の偉大さを書き続けることであろうか。

 とき 嘉永6年(1853)師走から明治14年(1881)まで。すなはち、いつまでも芽が出ないことに絶望した狂言作者の二世河竹新七が両国橋から身を投げようとした38歳初冬から、その新七が自分に「黙阿弥」と阿弥号をつけて劇界からの隠退を決意する66才の晩秋までの28年間。

 ところ 全場を通して両国橋西詰へ三百歩、柳橋へ二百歩の距離にある小見世「仁八そば」の店内。

 ひと とら(72)・熊谷真実 河竹新七(38)・吉田鋼太郎,五郎蔵(28)・藤原龍也、円八(23)・大鷹明良、久次(18)・松田洋治,及川孝之進・北村有起哉、おせん(四)・内田慈、おみつ(27)・熊谷真実,陳青年(不詳)・朴勝哲

 このそば屋で後に河竹黙阿弥となる新七が泥棒、噺し家、浪人者、不良少年と出会い、さまざまな物語が展開する(第一幕・一・ニ・三場から第二幕四・五・六場まで)。井上ひさしの名セリフがあちこちに飛び交う。

 そば屋の女将、とらの人物評、五郎蔵のセリフである。「姥捨山で狸の餌食になそうな見かけだが、口は新品の剃刀みてえなばあさんだな」。熊谷さんを見なおした。

新七は五郎蔵の「跳ぶ」と言う言葉に刺激されて新作「忍ぶ惣太」が大当たりする。人間死んで花実が咲くわけはない。時には清水の舞台へ飛び降りるのが良い。発想も跳んでみるとよい。

 とらは娘おせんのために株仲間を集める。おせんが玉の輿に乗れば株仲間は育ての親。頂いた二百か三百の礼金を株仲間で分配すれば15年もしないうちに何十倍に増えて戻ってくる。新七が亭主役を務める。おせんがパリの万国博覧会へ行く。

 おせんがある冬の朝の「御恩送り」の話をする。とらが株仲間のお金でおせんのために古着屋で綿入れを買う。その古着屋の男の子が「お米が買える」と喜ぶ。その父親は「その帰りに漬物屋の屋台で沢庵を2本買ってきな。こんな雪の日だ。客があれば喜ぶよ」という。株仲間のおせんへの想いが世間を回り出した。これが御恩送りだ。

 パリから帰国したおせんが狂言とオペラは似ているという。狂言は主役がどれだけ美しく死ぬか、どれだけ悲しくしぬかである。オペラは主役は先ず女。皆がセリフを歌って筋を進めて行き、その主役がどれだけ美しく死ぬか、どれだけ悲しく死ぬかである。まことに分かりやすい.

 新七はオペラ狂言作りに迷う。御一新を大掛かりなお家騒動と見る新七の悩みは深い。「電信機も何もかもすべて人間業でしょう。西洋の人間がそれを仕出かすのに、どう脳味噌を使ったのか、そこから始めないとなにもはじまらないといっているんです。小器用に西洋の上っ面のうわまえをばかりはねていいのか・・・」。新七は桟敷の御見物衆の力を信じてそれをよりどころにして書いた新作狂言「河内山と直侍」で御一新以来と言う大当たりを取る。

 五郎蔵ら株仲間が株の半数以上を押さえて発足した銚子第百四十二国立銀行が水利組合の多額の融資が焦げ付き破産、他の銀行に吸収される。五郎蔵ら4人は死にそこなって「仁八」に現れる。そこでおみつは彼らをソバ屋で働かせ再出発をはかる。

 この日は猛暑であった。井上さんのお芝居で「心の按摩をしていただいた」おかげでさわやかであった。