2008年(平成20年)12月10日号

No.416

銀座一丁目新聞

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安全地帯(234)

信濃 太郎

新聞は谷底に転落するか

 新聞、テレビを批判してもいつまでもその発展、存続を願う。その行方は気に掛る。ほとんど経済誌を買わないのに「新聞・テレビ複合不況」―崖っ縁に立つマスメディアの王者の見出しについ手が出た。フジテレビが認定放送持ち株会社の第1号となる「フジ・メディア・ホールディング」を10月1日に誕生させたことをきっかけに業界再編成の動きがあるのではないかという観測である。多少とも一般紙、スポーツ紙の経営に携わったものとして新聞経営が難しいというのは嫌というほど知っている。ましてこの金融危機による不景気に見舞われた際である。「ダイヤモンド」誌がいうように“谷底”に転落しかねない。たしかに年々広告収入は減少している(06年、広告収入7074億円)。やがてインターネットに抜かれるだろう。アメリカでは新聞をやめてネットだけにしようとするところも出ている。しかも部数も年々減っている(読売新聞1002部、朝日新聞804万部、毎日新聞388万部、日経新聞305万部、産経新聞220万部、日刊紙発行部数5231万部)。スポーツ紙の駅売りの落ち込みはひどい。特に若者は新聞をほとんど読まなくなった。新聞社に受験する学生さえ読まないというのだからあきれる。
 昭和28年テレビが登場したとき新聞の危機がささやかれた。インターネット時代がきてまた同じようなことが声高に叫ばれる。私はニュース、情報、解説、評論における新聞の質の高さを評価するから新聞の信頼は揺らがない。もちろん新聞自身の努力・研究などに精進するのを前提とする。テレビはあくまでも娯楽機関である。ニュース報道を見ても多少の違いがあっても同じ事件を2,3日も流している。テレビ局の取材力・企画力は貧困である。だから首相の発言の食い違い、政治家の失言など愚につかないことばかり流して本格的なニュースがほとんどない。世論を喚起するのは新聞だと思う。新聞は本体を中心に多角的経営をすれば生き残れるチャンスはいくらでもある。
 しかし新聞の機能も衰弱しているのは事実である。田母神俊雄元空幕長論文をめぐる新聞の報道は異常であった。田母神論文の真意を理解していない。「東京裁判史観」に毒され「日本だけが侵略国家」と思いこみ、当時の列強といわれた連合軍はどうであったのかは考えないという態度をとる。なぜ国際的な視野から日本を見ないのか。田母神論文が主張したのは安倍晋三元首相が唱えた「戦後レジームからの脱却」であった。ここに「田母神論文」の歴史的意義があると京都大学教授中西輝政さんは雑誌「Will」(新年特大号)で明確に指摘している。とすれば新聞は政府が田母神空幕長を更迭した時、反対すべきであった。それを政府の尻馬に乗って「ぞっとする自衛官の暴走」と社説で書くとは反権力を口にする朝日新聞らしくない。さらに言えば、田母神空爆長が最後の記者会見で「これくらいのことを言えないようでは民主主義国家とはいえない。政府見解に一言も反論できないなら北朝鮮と同じだ」と語った言葉をかみしめてほしい。表現の自由は新聞が守らなくてはいけないものだ。空幕長の地位にあるものの発言である。この人は今年5月東大五月祭の安田講堂で講演をして「戦前日本軍が悪かったのかよかったのか両方知ってほしい」と日本軍を世界の人々がどう見ていたか具体的な例を挙げて説明している。制服の空将が安田講堂で講演をするのは戦前、東条英機大将が首相の時(昭和16年10月から昭和19年7月まで)以来である。実に60数年ぶりの出来事であった。この歴史的現場に朝日のみならずほかの新聞記者も取材していたら田母神空幕長へもう少し品のある紙面展開ができたのではないかと惜しまれる。その意味では新聞は「現場」にあししげく出歩かなければならない。
 「経営は人なり」という。上に人を得て、よき人材と「庶民感覚」と「現場」、それに「歴史認識」を大事にする新聞は生き残れるであろう。