2008年(平成20年)12月10日号

No.416

銀座一丁目新聞

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花ある風景(331)

並木 徹

リストラの嵐吹くなか年忘れ

 師走の日本列島に強風吹く。リストラの嵐はさらに激しい。その日スポニチのOB会の忘年会に出た(12月5日)。場所は数寄屋橋のレストラン、会費5000円、出席者21名であった。バイキング形式ながら食べ物も飲み物もふんだんにあった。わずか7年7ヶ月の在職であったがみんなが何かと声を掛けてくれるのがうれしい。写真部は先日、伊豆の大仁の保養所で東京、大阪、九州合同のOB会を開き、どんちゃん騒ぎをしたという。保養所「伊豆大仁山荘」は平成2年6月にオープン、支局長会議、役員会なども開いたりした。開設以来18年もたつ。残念ながら今年、私は1度も訪れていない。
 OBの中で一番活躍しているのは音楽プロデュサー小西良太郎さんであろう。お芝居、テレビドラマに出演、忙しいようだ。なかには1ヶ月興行というのもある。「よくセリフが覚えられるね」と聞くと「電車の中でやっていますよ。苦労しています」と答える。口から出して覚えるのが一番良いという。一番若いOB橋本全弘さんが競馬の予想を聞かれて「すべての予想が当たっておれば私はこのようなところには立っておりません」と答えてみんなを爆笑させた。橋本さんは在職中、競馬を担当、その予想がよく当り「スポニチに橋本あり」と評判をとった。この人にしてこの言葉である。競馬はほどほどに楽しむものである。
 大連の中学時代の忘年会は先月下旬にJR大崎駅前のホテルで開かれた。出席者9名、会費5000円、年々出席が少なくなっている。テーブルに向き合って雑談した。幹事の手配よろしく出席者に13人の同級生が書いた「近況報告」が配られる。娘や孫たちを連れて大連を訪問した話、今年運転免許更新をあきらめたこと、絵の個展を開いたこと、戦艦大和,零戦などを持つ日本が敗れ、小銃しかないベトナムが米国に勝ったのをこの目で見ようとベトナム、カンポジヤに行ってきたことなどの「近況」を面白く拝見した。この日の話題は田母神俊雄元空幕長の論文の是非であった。賛否両論であった。私はあらかじめ用意した田母神論文の全文と私が書いた「茶説」(11月10日号)をO君とS君に手渡した。話ついでに「戦陣訓」に話が及ぶ。「生きて虜囚の辱めを受けず・・・」と書いた東条大将が悪いという。そこで私は支那事変に出動した日本軍隊の素行が悪いのでそれを戒めるために出されたもので「生きて虜囚の辱めを受けず・・」は付け足しだった。しかも草案に著名な文学者が関与している。たまたま東条さんが陸軍大臣であったというのにすぎないと反論した。後日、W君とS君に大原康男著「帝国陸海軍の光と影」(展転社)に書かれてある「戦陣訓」の誕生のいきさつにふれた個所をコピーして送った。同書によれば提案者は当時陸軍省軍事課長であった岩畔豪雄大佐(陸士30期。起草作業は教育総監部の精神教育班長浦辺彰少佐、東大で委託学生として論理学を学んだ中柴末純少将(陸士8期)、九大で哲学を学び、応招前は高等師範で教育学を講じていた元東京造形大学教授白根孝之中尉らが行った。浦部が成案をまとめ、島崎藤村、土井晩翠、紀平正美といった当代の碩学の意見も徴した。昭和16年1月8日に発令した。「生きて虜囚の辱めを受けず…」は「本訓 其の三」の「第八 名を惜しむ」の後半部分である。全文は次の通り。「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すなかれ」
 戦後なぜかこの部分だけが必要以上に取り上げられヒューマニズムの立場から手厳しく非難されて今日に至っている。歴史は深く知るべきである。忘年会が意外やこのような言葉で議論し考えを深めてくれるとは予想もしなかった。実りの多い会合であった。