2008年(平成20年)9月1日号

No.406

銀座一丁目新聞

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花ある風景(321)

並木 徹

一犬虚を伝えれば万犬実を伝える

  「こんなひどい本はないよ」と友人の野地二見君が新井喜美夫著「転進 瀬島龍三の『遺言』』(講談社刊・2008年8月8日発行)を差し出した。見ると行間にびっしりと彼の反論、感想がが書き込まれている。この本は「読書会」メンバーの広瀬秀雄君から回ってきたので読んでいた。少し思い込みの激しい著者だという印象はあった。
 その一つをあげる。東条英機首相(昭和16年10月18日から昭和19年7月21日まで。陸相、軍需相兼務)がミッドウェー海戦(昭和17年6月)の損害をサイパン戦(昭和19年7月)まで知らなかったとあるが、そのようなことはありえない。著者が書いているのは明らかに誤りだ。著者は東条内閣で書記官長であった星野直樹の話としている。ミッドウェー海戦からサイパン戦までまるまる2年もある。その間にガダルカナルの撤退(昭和18年2月)山本五十六連合艦隊司令長官の戦死(昭和18年4月18日)ソロモン・サンゴ海戦での敗退(昭和17年8月)がある。ミッドウェー海戦は大本営が昭和17年5月5日発令した。しかもこの海戦で制空権,制海権を失ったため作戦方針の変更を2度も行っている。首相・陸軍大臣、参謀総長だった東条首相が知らないはずはない。知る立場にあった。木戸日記によれば、昭和天皇は6月6日にはミッドウェー海戦の大敗を鮫島具重侍従武官(海兵37期)よりお聞きになられている。6月8日には木戸が陛下より「軍令部総長にはこれにより士気の沮喪を来さざるように注意せよ…のお話あり」とある。6月9日「午後2時半東条首相参内、面談。3時武官長来室、ミッドウェー海戦その他につき懇談す」とある。6月11日には「武官長の来室を求め、ミッドウェー海戦の成果の発表に関連して勅語云々就き相談す。この際賜わらざるを可とするとの意見一致す」とある。この間の動きをみると、6月9日陛下と参内した東条首相との面談の内容はミッドウェー海戦の敗戦しか考えられない。星野直樹の話は何か前提条件が落ちているとしか思われない。著者が指摘したいのは、東条首相がミッドウェー海戦の敗戦を2年間も知らなかった のは、瀬島が海軍からの情報を握りつぶして、上にあげなかった点である。『「海軍のことですからね」と、まるで他人事のように語る瀬島に、私はあの愚かな戦争の本質が見えたような気がする』と著者は記述する。
 「海軍のことですからね」などと瀬島がこの著者に言う程おろかではない。どうも著者の記述は信用が置けない。思い込みが激しすぎる。瀬島さんが靖国神社に参拝していないと書いているがこれは明らかに嘘である。瀬島さんが会長をしている同台経済懇話会では毎年瀬島さんと一緒に参拝している。このことは会報にも載っている。さらに大東亜戦争直前、ルーズベルト大統領が天皇にあてた親電を遅らせた問題についても瀬島さんが関与したかのごとく書く。陸軍参謀本部通信課員であった戸村盛雄少佐(陸士40期)が遺稿ではっきりと「自分が親電を遅らせた」と認めている。本書もそのことを記しているが「状況からいって、瀬島が関わっていなかったとは思われない」とする。瀬島さん自身 も『幾山河』で反証しているのではないか。(本紙2007年12月 10日号「茶説」参照)
昭和31年8月11日シベリアから新しい日本国軍を作ろうと思って帰国した。反対したのは吉田茂であったという記述もおかしい。瀬島さんが帰国した時にはすでに自衛隊は発足していた。
著者は「私ほど瀬島と膝を交えて、話をした人間はいないのではないかと思う(野地君書き込み「他に居るよ」)。瀬島と私は約5年間、隣り合わせに事務所を持ち少なくとも500回ちかくにわたって話す機会を得た」 という。瀬島さんについて「典型的な日本の古風なエリートだった。ある意味で、日本人の中で最高に近い頭脳の持主のひとりではなかったのではないか」「軍人勅諭が歩いている、そんな印象を受ける人物だった」「彼の人生観は、偉くなることがすべてであり、最大の関心事は栄達であった。瀬島は貪欲な出世欲を内に秘めている男だと感じた」と記す。
そのような人物を描くならなぜもう少し調べて書かなかったかという気がする。あまりにも誤解、でたらめが多すぎる。本は後世に残る。間違った内容がひとり歩きをする。これが怖い。明白な歴史敵事実に反している内容を、歴史的証言として発刊した出版社の良識を疑わざるを得ない。

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