2008年(平成20年)8月10日号

No.404

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追悼録(320)

松本サリン事件の河野澄子さんの死を悼む

  松本サリン事件の河野義行さんの妻、澄子さんが死去された際、ブログに次のように書いた(8月6日)。「松本サリン事件、14年たってさらに死者1人出る。犠牲者はこれで8名となった。 負傷者は140を超える。こんなひどいことが起きるとはだれも考えない。悪魔の仕業である。
1994年6月27日午後10時30分ごろ長野県松本市で起きたサリン事件で河野義行さん(58)の妻澄子さん(60)は事件以来意識が戻らないまま5日死去した。義行さんは妻が好きであったバッハのミサ曲を流して冥福を祈る。「今日が彼女が自由になった日」だという。
事件は次第に風化してゆく。悲しいことだが、これからも「悪魔」がどこかに潜んでいると考えたほうがよい。
オウム真理教がサリン生成の実験を始めたのが1993年10月ごろである。翌年2月には完成している。1995年3月20日には地下鉄サリン事件が起きる。悪魔は悪だくみを着々と実行に移す。
第一通報者の義行さんは容疑者と疑われ家宅捜索され取り調べられる。新聞はあたかも犯人のような報道をした。考えてみるがよい。サリンが自宅の物置で生成できるものかどうか、専門家に聞けばすぐにわかることだった。新聞記者は「足」と「頭」で記事を書くものだ」
 松本サリン事件の教訓は8ヶ月後の起きた地下鉄サリン事件に生かされた。当時信州大学病院長であった柳沢信夫さんが事件発生のテレビで、被害者の中に縮瞳を訴える人見て有機リン中毒と判断、被害が大きいところをからサリン、ソマン、タブンをみて、聖路加などテレビに出くる患者の収容先の病院にFAXを送り情報を求めるとともに有効な治療剤の名前を知らせた。また松本の場合、現場へ出向いた医師が患者に優先順位をつけ重傷者から治療する「トリアージ」を行って被害を最小限にとどめた。アメリカの専門家も被害者が5000人以上も出ているのに死者が11人にすぎないのにびっくりしているという(村上春樹著「アンダーグラウンド」・講談社文庫より)。現場の医療機関、救急隊員、地下鉄職員などが頑張ったということである。日本にはその上にあるべき組織が効率よく早く機能しない。危機管理がまだ不十分なのである.義行さんは妻の14年目の死で「わが家にとって事件の終わる日になる」といったが為政者にとって、昨今は考えられない災害・事件が起きるので「危機管理」に万全を期さねばならない。

(柳 路夫)

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