2008年(平成20年)3月10日号

No.388

銀座一丁目新聞

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花ある風景(304)

並木 徹

怒りっぽく、涙もろくなった

 喜・怒・哀・楽という。感情のバランスが良いほど体によいのであろう。今年はひどく怒りぽっくなった。いつも駅構内にある本屋で「図書カード」を購入する。銀座俳句道場の入選者に贈るささやかな賞品である。最初の時、本屋の入口近くのレジに行ったら「それは奥です」という。「図書カード」の精算は購入した本の代金を払うレジではなく別の場所で受けつけ、精算する。それ以来そうしている。つい最近も(3月5日)その場所で「図書カード」を注文した。そこでパソコンの操作をしていた若い男性店員、幹部かもしれないが「それはレジで」と指さす。思わず「これまでここで売っていた」と大きな声を上げた。私の怒りの声に女性店員がすぐ応対に出たのでそれですんだ。店員の仕事の都合で「図書カード」の売り場をその都度、変えられてはお客がまごつく。腹の虫が治まらなかった。それにしても些細な事で、怒るほどのことではない。だが「怒り」が瞬間的にくる。反省しきりであった。
 先週の日曜日、スーパーに買い物に出かけて自転車置き場で交通整理している中年の人と順番を巡ってく口喧嘩になりそうになった。この時は相手も同じ年頃だし休みにもかかわらず働いているのだからと我慢した。ところで怒ると、頭に血が上り、かっかしてくる。動悸も激しくなる。これまで「あわてず、ゆっくり、のんびり」をモットーとしてきたが今年からは真っ先に「怒らず」を入れなくてはいけないようになってきた。
 昨今いやに涙もろくなった。テレビはニュース以外殆ど見ない。時々面白そうなドラマを見る。NHKでみたドキュメント記録「夫婦で挑んだ白夜の大岸壁」に感激、山野井泰史、妙子夫妻の”夫婦愛”にはほろりとした。父親の山野井孝有さんに息子夫妻を取り上げた本紙2月20日号の「茶説」を送ったところ、お礼の返事をいただいた。全文がそのまま記事になるほど見事な手紙であった。その一部を紹介する。「極北グリーランド大岸壁挑戦のテレビ放映では多くの方から感動・感激の電話、メール、お手紙をいただきました。2人は誰かにほめてもらうために山に登っているわけではありません。この数年2人を表舞台に出そうとする動き、たとえば『徹子の部屋』などがありますが、拒否しつづけております。沢木耕太郎さんから伺った話ですが『母べえ』試写会を終えた山田洋次監督が2人の映画化の話をされていたようですが、2人はこれにも応じようとはしません。大監督の話にも心を動かされない2人に、親の私にはそれまでかたくなにならないでもと思います。なぜか私のもわかりません」このような手紙を読むと、この夫婦がますます好きになる。
 「楽しみ」といえば月に一回陸士時代の仲間5人と読書会を府中の居酒屋で開く。一人だけが現役でほかのもは悠々自適である。近く3日ほど検査入院をする元建築業・元調査会社役員が悲観的言辞を弄するので買ってきたばかりの門田隆将著「甲子園への道」(講談社)を手渡した。「絶対にあきらめるな」がプロ野球の名打撃コーチ高畠導宏の遺訓であると伝えた。元証券会社の元社長・会長から大野芳著「8月17日、ソ連軍上陸す」―最果ての要衝占守島攻防記―と栗栖茜著「がんで死ぬのも悪くないかも」(海山社)の本をいただいた。栗栖さんは元証券会社社長の主治医、消化器専門の外科医である。この本のエキスは「人は必ず死を迎える。医師の仕事は病気を治すことである。この2の原則だけでも大切にしていれば人はおのずとふつうに死ぬ、尊厳のもとで死ぬための道が開ける」ということである。来月は泉岳寺を参拝、私たちが寄進した瓦を拝見して、近くの居酒屋で雑談会を開く。友と付き合いの楽しみは深く厚みを増してゆく。
毎日新聞時代の戦友、開真君が死んだ2月29日の花言葉は「杉」で「雄大」である。開君にふさわしい。年をとってからの「哀しみ」はどこかへ引きずり込まれそうな感じがしてならない。歌人、鳥海昭子は「閏年のきょう杉山の枝打ちの森閑として音ひびくなり」と詠んだ。

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