2007年(平成19年)11月10日号

No.377

銀座一丁目新聞

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追悼録(293)

粘り強く、緻密な男・石谷竜生君逝く

 毎日新聞社会部で一緒に仕事した石谷竜生君が亡くなった(10月25日・享年79歳)
思い出すままに石谷君について書く。私が警視庁クラブのキャプのとき捜査2課担当であった。殺人、強盗などあつかう捜査1課と違って詐欺、背任.横領など知能犯事件を扱う2課が取材対象であった。夜討ち、朝駆けが日常の取材であった。抜くことがあっても抜かれることがなかった。その時生まれたのが「汚職―手口と捜査法」(当時裁判所キャップの佐々木叶さんと石谷君との共著・桜桃社刊)である。これを読めば汚職の手口がよくわかり当時知能犯事件取材の必携書と言われた。知人の出版社の社長から「汚職について分かりやすくい書けないものですかね」と頼まれたものであった。
福島市で開かれた告別式(10月29日・たまのやSKホール)で裁判所キャップであった石谷君について愛波健君が弔辞の中でその仕事ぶりを偲んだ。石谷キャップは夜討ち、朝駆けの取材結果をレポートにして提出することを命じた。一切の粉飾をせずありのままの一問一答を要求した。「なにかありますか」という問いに検事は「何もありません」と答える。それではレポートは一枚にもならない。そこで愛波君らは事件の関連する国会議事録や資料・六法全書などを読み勉強して検事にぶつけるようになったという。漫然と取材するのでなく準備して取材せよということを教えたわけである。私が警視庁のキャップのときこのような要求は出さなかった。石谷君はそれほど緻密で粘り強かったということであろう。その性格はマージャンにもよく表れていた。マージャンは強かった。読みがよいのと勘もよかった。晩年福島学院短大副学長の時、よく碁を手合せをした学長にその性格を好かれたのはよくわかる。
事件記者は常に最悪の事態を考える。事件は生き物である。だから考えられる方法について手を打つ。事件を抜くためであり、他社に抜かれないためである。石谷君は「仮設を考える」ことを勧める。「事件はあらゆる可能性を考えなくてはいけない。さまざまな仮説を作る。もっともありそうもない仮設が現実になった時、特ダネの威力はすざましいものになる」という。
告別式の後、奥さんの純子さんと雑談した。その中で「主人は毎日新聞の社報であなたがゴルフで上位の成績であったのを見て元気にしているなと感心しておりましたよ」とある日の夫婦の会話を話してくれた。いつまでも社会部の先輩を気にしていてくれたのだと思うとほろりとした。

(柳 路夫)

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