2007年(平成19年)9月10日号

No.371

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追悼録(287)

「杖を貸したまえ」といった夫のもとへ

  横山房子さんが主宰する俳句誌「自鳴鐘」(発行所・北州市)の9月号に娘で副主宰の寺井谷子さんが「房子作品一句鑑賞」として「天壇の扉の一枚に秋日炎ゆ」を紹介する。「重厚にして力強い句」と谷子さんは評する。
房子さんの訃報を知ったのは新聞であった。「1日老衰のため死去、92歳」「夫は同誌を創刊した故横山白虹・元現代俳句協会会長。四女は現代俳句協会副会長で産経俳壇選者の寺井谷子さん。句集に「背後」「侶行」など」(産経新聞)とある。
白虹が「自鳴鐘」を創刊したのは昭和12年、房子さんは弟子として参加する。白虹は昭和23年6月に第一句集「海堡」(沙羅書店刊)をだす。序文を書いた山口誓子は「雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり」を近来の傑作のひとつに挙げた。その年の秋中屋房子と再婚する。房子さん23歳。3人の子どもと16も年上の白虹との結婚に周囲は反対した。「海堡」の覚書の終りに「さあこれを機会に立ち上がろう。杖を貸したまえ」と白虹が書く。それが求婚の言葉であった。それから45年、房子さんは白虹と苦楽をともにした。昭和58年11月18日白虹が死んでから「自鳴鐘」を引き継ぐ。三回忌には「横山白虹全句集」を出す。あとがきに房子さんは「全句集を編み終わった今白虹との四十五年間の侶行の総仕上げを果たした思いで、ただ、白虹の意に叶ことを願うばかりです」と謙虚につづる。
この全句集最後の句は「賀詞きいて青衣のひとり泣けばよし」である「青衣の一人」は献身的な看護を続ける房子さんを指す。素晴しい夫妻である。
妻は歌う。
「樅の木に二羽で紛れる春の鳥」
「ねむらんと鶴啼き交す無明の田」
「舗道濡れわが家に遠き冬の虹」
「冬の虹呼ばれしごとく振りかえる」
「雪降り出す灯のなき鶴の寝園に」
房子さんはあくまでも謙虚で優雅さを失わなかった人である。燃えるような情熱を心に秘めながら俳句の道と関わった。句は人柄を表わす。
「さくら咲く方へ未明の道選ぶ」
心からご冥福をお祈りする。

(柳 路夫)

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