2007年(平成19年)2月10号

No.350

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安全地帯(169)

信濃 太郎

俳句の海へ 言葉の海へ

 寺井谷子さんの近著「俳句の海へ言葉の海へ」(NHK出版)を読む。寺井さんは3年間(平成14年から平成17年)「NHK俳壇」の選者を務めた。この間「NHK俳壇」で語り「NHK俳壇」誌で書いたものをまとめたものである。俳句の真髄をずばり説きながら判りやすく,俳句作りの楽しみを伝える。
初めに「思うこと」はイコール「言葉を使う」こととして尾崎放哉の「一日物云わず蝶の影さす」の句をあげる。尾崎の句は「足のうら洗えば白くなる」「せきをしてもひとり」へと発展する。「せきを・・・」の句を寺井さんは「俳句の海に遠く浮かぶ小さな美しい島のように愛している」といっている。
意識的にしろ無意識的にしろ尾崎放哉の句に寺井さんは惹かれる。「孤独に徹した寂しさを抒情を切り捨てた世界として打ち出す」(松井利彦)という放哉の句は私も好きだ。尾崎は一高では寺井さんの父横山白虹の15年先輩でもある。寺井さんは両親が俳人であった家庭環境から言葉はリズムとして耳から入ってきた。羨ましい限りである。俳句は目で物を見て書く散文ではなく、物を耳で聞いて書く詩である所以である。新聞記者である私には散文は書けても「詩」が書けない。「言葉の波音」がまだかすかにしか聞こえてこない。「考えるということの基本には言葉ある」のには同感する。
 正岡子規の二句を紹介する。「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」 「六月を綺麗な風の吹くことよ」。俳句は難しい言葉を使わなくてよい。「よく感じること」と「よく観ること」を教える。「物で書け」という。かって警視庁鑑識のベテランが「物からものを聞け」と教えてくれたのを思い出す。
「五七五」には「五・七五」もあれば「五七・五」もある。さらに「七五五」「五五七」「七七五」もある。基本のリズムを体にしっかりと覚え込むことと教える。高浜虚子に「凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり」という合計25音の長い句があるとは知らなかった。季語が暮らしの中の宝石箱であり、歳時記が尋ねる人の思いの強さや深さによって様々な表情を見せてくれるとは嬉しい。
「俳句の流れ」@Aでは先人達の句を味わいつつ考える。「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」(金子兜太)「戦争にたかる無数の蝿しづか」(三橋敏雄)「俳句の海」は広い。「言葉の海」は無限である。その「言葉の海」から心が動いた時に発生したリズムを伝える言葉を探さねばならない。「山笑ふ大声の僧ひとり棲み」(茨木和生)を例にあげて説明する。思いは俳句の種であり,言葉を探す,選ぶというのは表現・技術。リズムは磨きである。
 著者は推敲は醍醐味だという。私は五七五の組み合わせは千も万もあって変化する。苦痛である。推敲の基本が自分が伝えたかった感動の「核」であるというのは納得いく。「昭和初期俳壇を彗星の如く過ぎた」芝不器男にして「人入って門のこりたる暮春かな」を40数句推敲する。その推敲のたしになるのが季語の持つ色、その質感である。それを理解しどのように働かせるかは楽しい作業であるとか。この境地にはなかなかなれない。
動詞の働き@A。一句に動詞は一つしか使わないよう心掛けよう。名詞の働き。「東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク」(大井恒行)「ニコよ!青い木賊まだ採るのか」(横山白虹)を覚えておく。助詞〜一文字の大切さ。これは難しい。句を作る際いつも悩む。「や」と「の」。「の」と「が」や「は」などは推敲の段階で伝えたい内容やリズム感を考えながらさまざまに置き換えよと注意する。
 俳句とは何かと問われたらあなたはなんと答えるか。寺井さんは「削る」という作業から「断念」と答える。私は「志」と答える。その時々の自分の思いを表現するからである。自分に素直でありたいという気持ちもある。「碑に佇つは逢ふ瀬のごとし白山茶花」(横山房子)、このような句を作りたい。
「戦争」の句に「イラクへは征くなと母の雪礫」(一瀬祥子)「うかつにも軍歌になった櫻はらり」(荒木文夫)などが紹介される。私なら「元旦や糧なき春の勝ち戦さ」(若林東一・ガダルカナルで戦死)「これでよし百万年の仮寝かな」(大西瀧治郎・終戦時自決)などの句もあげる。原爆。「降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ」(長崎の人・松尾あつゆき)「なにもかもなくした手に四まいの爆死証明」(同じ)、作家、竹西寛子は「ヒロシマが言わせる言葉がある」と言ったが「長崎が言わせる俳句がある」忘れまじ原爆を・・・
地震。「倒・裂・破・崩・礫の街寒雀」(友岡子郷)。農。「米のみにかかはり女です織女よ」(竹下しづの女)。故郷。「故郷やよるもさはるも茨の花(一茶)。男と女。「産むというおそろしきこと青山河」(寺井谷子)「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」(橋本多佳子)「花の夕ひとりの視野の中に佇つ」(桂信子)。悲哀。「喪主といふ妻の終の座秋袷(岡本眸)「死ぬ時は独りの母に蝉時雨」(森村誠一)「亡き子あらばあらばと涙餅焼く」(岡部六弥太)。素晴らしい俳句は吸い込まれるような陶酔感がある。凄い世界である。
 寺井さんは俳句は「出会い」だという。昨年はお陰で私にも何人かの出会いがあった。新しい出会いを求めて「言葉の海」の沖をゆっくり目指して下さいと誘うが、私はまだ海辺をさまよっている。この本を何回も何回も読んで沖へ目指したい。

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