2006年(平成18年)11月1日号

No.340

銀座一丁目新聞

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追悼録(256)

ある米国物理学者の死に思う

  北朝鮮が地下核実験して(10月9日)8番目の核保有国となった。アメリカがシカゴ大学で世界初の原子炉の実験に成功してから64年目である。解放された原子エネルギーは魔力を秘めていると見えてその誘惑に大国も小国も負けてしまう。米国、英国、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタンと続いた。この他、核を保有していると疑惑をもたれている国もある。
 原子炉の実験に参加したアメリカの物理学者、アルピン・ワインバーグさんがなくなった(10月18日・享年92歳)と、夕刊に報じられて感慨ひとしおであった。ワインバーグさんは戦後、商業用原子炉として普及した加圧水型軽水炉を開発した人として知られる。原爆を開発した「マンハッタン計画」に参加したのは27歳の時である。実験炉はシカゴ大学の運動場西側スタンドのスカッシュ・コートに設置された。核連鎖反応実験の指揮者はイタリアからの亡命科学者エンリコ・フェルミ。実験が成功したのは1942年12月2日。日本が対米戦争を始める6日前である。ニューメキシコで原爆の実験が成功したのは1945年7月16日。原爆が完成したのはその5日後であった。ルーズベル大統領の急死で大統領となったトルーマンはポツダム会議に出席中に原爆の実験の成功を知る。1ヶ月後には日本へ原爆が投下される。もっとも1944年9月、ルーズベルト大統領と英チャーチル首相との間で締結された「ハイドパーク協定では「原爆が最終的に使用が可能になった暁には、十分な検討を加えた上で、多分日本に対して使用されるようになるであろう」の一文がある。
 原爆の歴史を見る限り核を使用する場合、理屈はどのようにもつく。人は核を持てば抑止力になると思い込んでいるだけである。テログループ対自由諸国の戦争を繰り広げている今、テログループに核兵器が渡ったら取り返しのつかないことになるのは必定である。
 原子のエネルギーが解放された日、実験メンバーのひとりが政府の首脳に電話で「イタリアの航海者は、新世界に到着しました。大陸は思ったより小さいでした」と話したという。北朝鮮の実験者は金正日総書記になんと報告したであろうか。「パキスタンからの密航者は、新世界に到着しました。これで米国の金融制裁が解除されます」というところか。

(柳 路夫)

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