2005年(平成17年)4月20日号

No.285

銀座一丁目新聞

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自省抄(27)

池上三重子

      3月20日(旧暦2月11日)日曜日 くもり

 十一時すぎ震度六弱の地震。ぬいぐるみの熊さん落下のみ。地震のあと、事もない園の気配よ。
 天草の紫明寮にいた頃に経験した普賢岳噴火が思い出される。松永カツミさんが部屋に来ていて、仰天の形相で私の倚座卓を抱くような格好で、あたかも蝦蟇が仰向いて見上げる具合に「怖くないですか」と脅え声をあげたものである。
 私はその時、自分の死への願望がほんものであることに確信を得た。二百年ぶりという噴火に「長崎大変 天草迷惑」のはやり言葉も復活したものだが、その時、見るみる形相の変る周囲を目に、私は動悸も平時のまま思い出していた自作一首があった。
  天も地も 今くつがえり 叫び喚び
  人ほろびゆく 変災もがな
 永田大乗氏が「歌になっとらん、初めから勉強し直さやん」と酷評された由、以後、永田氏は鬼門となり、私は出会うたびに会釈しつつ羞恥をくり返すことになった歌だ。
 今日もそう。三十代初めから半世紀、八十一媼の心のしずまりを、精神の芯の願望の切なさを、私は確かに見、認めたのだ。六度震の襲来にはおどろかされたが恐怖なしとは秘匿の事。なぜなら言う必要もない以上に、誤解曲解されるのは意ならずだからよ。
 不治永患。自省抄にいくたび書いたこの語か。
 さまざまの紆余曲折は波瀾万丈、しずかな自分自身との闘いの歳月であった。それは母への慚愧の日夜でもあった。不幸を積みに積んだ懴悔の時々刻々でもあった。
 顧るそれを神の試練とおもえばおもわれない事もないが、私はそうは思わないようだ。神は罰したまわぬ。あるがままの人間の営みをごらんになるだけ! ただご覧になるだけ。神そのものは自然なのだ。大いなる劫初から無限の未来まで在すだけなのだ。
  なにごとのおはしますかは知らねども
  忝けなさに涙こぼるる
 この歌(西行? 能因? 或は?)のつつしみごころは普遍のにんげんの心情といえようか。
 今日はお彼岸の中日。春は確実に来ているのだ。父の命日は二十五日、その日がお彼岸内にあれば、「籠らしゃった」とよろこぶ母だった。今年の春彼岸は二十四日が「醒め」のようですよ、がっかりなさるであろう生きて在さば、と偲ぶ私である。
 お彼岸入りには平たいお団子(だご)、「醒め」とよんだ明けは長団子(ながだご)、お中日には牡丹餅。母よ! あなたと共にあなたのお手に作られるお供えものがあらわれました。
 お供えはお茶受けでもありました。お茶受けは私の乳母さんでした。乳母さんは柔らかな優しい情緒をはぐくんでくれました。
 余ったら食べてよか、という母の言葉にうなずいて板の間に坐り、あなたが庭中に立ちながら板の間に置く捏ね板に作りならべていく饅頭を、或は牡丹餅を、二搗(ふたつき)餅を目を凝らしつつ眺めました。余ったらのそれは、丸めた餡このこと。二搗餅や饅頭の芯の餡この魅力は、童女をじーっと坐らせておくに充分でした。
 少しずつ少しずつ割り分けていれる一、二個の餡こは待つ甲斐を与えたのです。
 牡丹餅は「もろぶた」に入れます。これは、お寿司屋さんが配達に使う木製の底浅い丸い桶で、被せ蓋があり、蓋も身と同様の役目を果たすからその名が付いたのでしょうか。 二搗餅は蒸した団子を木製臼に移して杵で搗くもの、母一人でできる餅でした。蓬餅でした。旧暦三月二十一日のお大師さんのお供え。「山向こ」とよぶ斜め向こうの一軒家のヒモしゃんと母の言ぶおばあさんが板の間客。
 母の二度搗きの蓬餅の草色は見るからに柔らかに、色にむらがなくすべすべと美しい春の匂いがしました。

 空気が冷えてきた。二十度という。
 窓を少しあけたままだったらしい。主任さんが閉められた。
 四時半だ。主任さんと小田さん退出の時刻。出勤人員四名のなかの二名が退出すれば、休日の今日、残るのは遅出の小田木士と新人さん。
 頼みたい用を頼まず啜りたい茶さえ遠慮して、せっかくのお彼岸中日も侘しいなあ。お昼をだし巻き卵二個配を一個呈上、お清汁だけで足りたお腹がペーコペコ。自業自得なれば我慢の子。異国の丘だ、その歌だ。がまんーだ 待ってーろー 嵐が過ぎりゃー やがて夕飯が来るよ……ひもじひもじの餓鬼ちゃんよ、お清汁ご飯にひっかけて葉の漬物あれば他のご馳走はなくもがなよ……飢餓の子が 飢餓のふるさと 立ち出でて また立ち帰る 飢餓のふるさと……
 兄よ!
 あなたは飢餓の島ボルネオ島の北ボルネオ、サンダカンの警備隊となり南十字星をのぞむ海辺で食談義。生還したら鰻の蒲焼と菱をあげたと、帰還した戦友の富安さんが話してくださった。あなたは何かにつけ、あたらあたら神童と称賛され、長じては請われて渡満、窯業界において錦州市に在住、重役のポスト……いっさいを過去に葬り現地応召、北ボルネオの首都アピ郊外の野戦病院とは名ばかりのニッパ椰子の木が葺く掘立小屋で戦病死……病名マラリヤ……あたらあたらのあたあたら……で一期。
 惜しむ! 私は愛惜する! 何の用もなさぬ情と知りつつ、虚しと知りつつ惜しむ。
 母よ、今の私はこの心境です。憎い戦争です。与謝野晶子は「ああ弟よ君を泣く 旅順の城は落ちずとも……」と歌った。私は戦争を憎む。いかなる大義が掲げられようと戦争絶対反対だ。
「言うだけのことをした」と富安さんによれば兄よ! あなたは現地人の家に入り食物の強要、強奪の仲間入りをしなかったと。
 私は仲間となって無態に及んだとしてでも還ってきて欲しかった!
 でもでも兄よ、あなたをやっぱり讃えます。学校出てもあなたは人間の範を、しかも戦地においても人間性の真・善・美を完うせずにはいられなかったのですね。
 母よ! 私は、ひもじさを忘れていることに気付きました。
 今夜も夢見にお侍ちください。



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