2005年(平成17年)3月1日号

No.280

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追悼録(195)

大ばくち もとも子もなく すつてんてん

 甘粕正彦さんは自決前、満映の理事長室の黒板に「大ばくちもとも子もなくすつてんてん」と書いた。昭和20年8月20日青酸カリで自決した。享年54歳であった。天衣無縫の句だと思う。「大ばくち」などという表現は並みの人間からは出てこない。大きな仕事をしたからこそ生まれてくる。甘粕さんを知る森繁さんは「ビルを建てようの、金をもうけようというケチな夢じゃない。一つの国を立派に育て上げようという大きな大きな夢に酔った人だった」と語る。「すつてんてん」その人の人間が出ている。一種の満足感すら感じられる。金子兜太さんは俳句の秘訣を問われて「こだわらないことです」と簡潔 に答えている。この句は何らこだわるところがない。甘粕さんは昭和19年の初夏、陸軍が石炭増産で坑木が不足しているというので北京のえん樹の並木を伐採する事を知って「とんでもない愚考だ」と止めさしている。古都の美しさを守った。日本が世界の笑いものになるところであった。ふと車窓から眺めた街路樹の幹の白い印に気がついたのがことの始まりであった。この観察力と決断力と感性はすばらしい。こんな人の句である。
 戦後、甘粕さんが自決せずひそかに日本に帰国したという話を大連育ちの友人から聞いた。どうも「義経伝説」である。角田房子さんの「甘粕大尉」(ちくま文庫)を読むとそのようなことはありえない。死ぬ3日前、甘粕さんは古海弘之さん(満州国総務庁次長)の必死の説得に答えている。「私には生きている意義がなくなった。日本は新しい道を歩き出す。私の知識、経験はもう役に立たない。これからの日本の役に立つのは青年だけだ」死を覚悟していた。8月20日朝午前6時ごろ、青酸カリを飲んだ気配を察して理事長室に飛び込んだのは内田吐夢(映画監督)と監視役であった。その時はすでにおそかった。甘粕さんは大杉栄虐殺の真相を秘めたままこの世をさった。この人ほど毀誉褒貶に富む人はいない。陸士は24期生。かかる軍人もいたということである。

(柳 路夫)

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