2005年(平成17年)3月1日号

No.280

銀座一丁目新聞

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自省抄(22)

池上三重子

  1月28日(旧暦12月19日)金曜日 快晴

 今日の陽気は春さながら。中島智香喜氏も妙子先生も、万物生ずる季に誘われての来室とも。
 健康そのものと見て来て六年目、この年になって初めて智香喜氏の病気の話を奇想天外の事のように聞く。前立腺症というのか、膀胱の具合が異変をきたしている事、肺炎で発熱九度以上の症状だった事などを知る。
 前回の来室の帰りに腰が痛くて、と独言つぶやきつつだったけど、それからが風邪、肺炎、膀胱と大変がつづいたのだ。知らないまま何もせずの三カ月、私の頭脳はその倍の日月の気がしていたのである。
 病気知らずが病気になれば、衝撃の程が思いやられる。八十歳とは見かけ上はとても、とても。妙子先生も八十半ばすぎとは信じられぬ健康体。智香喜さんがお宅まで送ってくださるという。遠慮なさる先生に、なあに車で十分ですよ、たった十分、と廻って行ってくれたのだ。よかった、よかったなあ。
 戦時の名残の飛行気乗りさん特有の白いマフラーを、智香喜さん、大事に蔵っていたとは。今回の病床での感慨はさまざまの垂訓をもたらしたのだ。膀胱の不具合は彼をちょっとした手術、と医師の言う手術をうける事になるか、放ってなるがままか。いずれにしろ良かれ! 宜しかれ! よ。
 左脚の疼き具合から、迷いの果てに一か八かと決めた入浴。入って良かった。入浴後うけた治療のためか、想像もつかぬ疼痛の消滅よ。本当? 疑心暗鬼も、ほんとうに止んでいるのだよ、その疼きが。
 体が冷え、陽もかげったら元の木阿弥、とならねばいいがなあ。今をよろこぼう、私よ。 左脚の痛みは月曜入浴担当士の過ぎたるは、による。彼女は仕事熱心でむらがなく、好感度最高。今回は、垢の手触り感触プラスαが深入りすぎたのである。
 弘法も筆の誤りが連想され、「金槐集」の八王竜王雨止めたまえの、実朝の一首も。過ぐるは尼のなげきなり、だから降雨つづきだったろうか。
  箱根路をわが越えくれば伊豆の海や
  遠き小島に波の寄る見ゆ
 公暁に弑いされた三代将軍源実朝は印象に濃い悲劇の主。増加の授業の国語は船津先生。色の白い、坊ちゃん坊ちゃん型の若い先生だったなあ。木曽先生の国語に入りたかったが、組み合わせの都合で入れなかった。
 組み合わせ制が採られたのは、一局集中を防ぐためであったろうか。木曽幸子先生はお懐かしい。旧大和郡山藩の家老職の一人娘という出自で、奈良女高師主席卒。図画の藤田薫先生が、世が世なら平伏しておかねばならぬご身分、とおっしゃっていた。
 お二人とも柳川下田町の寓居をお訪ね下さった。福岡女子師範の同窓会なりクラス会で福岡へお出での折りだった。木曽先生は天草へも訪ねたいと言って下さったものだ。私はご辞退した。当時は六人部屋。私は惨めな環境と屈辱感に内心まみれていたからだ。
 母が「どうして断った? 失礼ばい」と言ったが、沈黙で通した。
 おもえば偲べは旧師恩師よ! 先輩方よ! お心寄せありがとうございました。命ながらえて偲ぶ心は、ただただ慚愧に懴悔……恩愛に瞼うるませつつ仰ぎ見、ひざまずかずにいられません。
 母よ!
 火水木金と金曜日の入浴までつづいた暗雲は、四時只今、疼きがかき消えたような晴れようだ。これ本当? これが私? 自問してみるが本当なのだ。再び疼きだしたら運命の指針と思おう。痛みを感じないとは、何と幸いな事だろうか……ありがたいなあ……
 
 カレンダーの福々猫ちゃんは、扉口の貼布の仲間たちと入れ替える事にしよう。通る利用者方の目を惹いて撫でられもしようか。



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