1998年(平成10年)4月20日(旬刊)

No.37

銀座一丁目新聞

 

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映画紹介

パーフェクト サークル

大竹 洋子

監  督 アデミル・ケノヴィッチ
脚  本 アデミル・ケノヴィッチ、アブドゥラフ・シドラン
音  楽 エサド・アルナウタリッチ、ランコ・リフトマン
撮  影 ミレンコ・ウヘルカ
配  給 大映株式会社
出  演 ムスタファ・ナダレヴィッチ、アルメディン・レレタ、
アルミル・ポドゴリッツアほか


1997年/ボスニア・フランス合作/ボスニア語/カラー/ドルビー/108分

第10回東京国際映画祭グランプリ、最優秀監督賞受賞作品

第50回カンヌ国際映画祭監督週間オープニング作品

 ボスニア映画「パーフェクト サークル」の上映が岩波ホールで始まった。昨年の第10回東京国際映画祭のグランプリ作品である。こういう映画がみたかったと私は思う。サラエボでいったい何が行われていたのか、戦火の中でサラエボの市民はどうやって生きていたのか、そういう疑問に答えてくれる映画、映画というものの使命を誠実に果たしている映画、そして、映画の世界で働いてきて本当によかったと私に思わせる、そんな作品である。

 ソ連邦の崩壊を受けて1991年、多民族国家ユーゴスラビアが解体した。923月に独立したボスニア・ヘルツェゴビナはじきに内戦に突入、スロベニアやクロアチアにつづき、戦火はボスニアにも波及した。だが、それは一般にいわれる宗教や民族の違いによって引き起こされたものではなく、人々は目に見えない、顔の見えない“なにか”によって殺されたのだと、監督のアデミル・ケノヴィッチさんは主張する。そしてそのような混乱の中で、父や母や子や、兄や弟や姉や妹を失った人々が、新しい家族をつくって互いに助け合い、わずかでも希望の光を見出しながら生き抜いてきた、その事実を語り継ぎ、言い継ぎ、世界中に知ってもらうためにこの作品に取り組んだのだという。ケノヴィッチさんのその想いは見事に観客の胸に届き、「パーフェクト サークル」は決して忘れることのできない、20世紀を象徴し総括する映画になったのである。

 主人公のハムザは、セルビア軍に包囲されたボスニアの町で一人で暮らしている。妻と娘は少し前にこの町を脱出した。ハムザは高名な詩人なので世間に顔を知られすぎているし、すでに生きる意欲もなく、酒浸りの毎日では動くのも億劫である。ある冬の夜更け、今日も酔っぱらって家に戻ったハムザは、床の上で眠りこんでいる二人の幼い子どもをみつけた。地方の村の戦いで孤児になった兄弟、ケリムとアーディスである。9歳のケリムは恐怖で口がきけず、耳もきこえない。7歳のアーディスだけが兄のことばを理解できる。ハムザ家にはもう食料も燃料もない。だがどうして二人を追い出すことができよう。ハムザと少年たちの共同生活が始まった。

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 ゆえなく敵となったセルビア軍の激しい銃撃は昼夜をわかず、町は完全に出口を失っている。だがその中で市民たちは生きていた。ハムザと隣人のマルコは、二人に町の歩き方を教える。道を横切るとき、ここは歩いても大丈夫なところ、ここは走らなければ撃たれる場所、決して3番目になってはいけない、敵は最初の一人をみつけ、次に狙いをさだめ、3人目で銃の引き金をひく。3番目にいれば、それがたとえ犬でも殺されるのだと。

 「パーフェクト サークル」という題は何を意味しているのだろうか。兄弟は壁に張ってある、紙に書いた円をみつける。ハムザはくるっと上手に円を描いてみせる。ハムザのモデルである詩人のアブドゥラフ・シドラン、この映画の脚本を監督と共に担当したシドランは、完璧な円を描く名人だそうである。包囲されたサラエボ、調和への祈り、ハムザが時に夢想する首吊りの輪、禅の円相など、このタイトルについては映画をみた人の解釈に任せたいが、戦火の中で人間性を保とうとするサラエボの人々の共存という説が、ケノヴィッチさんは一番気に入っているのだという。

 私はブレヒトの戯曲、「コーカサスの白墨の輪」を思い出す。一つの谷の利用法をめぐって争う二つの村の物語だった。その昔、白墨で描かれた輪の中で、子どもを引っ張りあった育ての母と生みの母、大岡裁判のような話が劇中劇の形で進められ、村人は現実をみつめて和解するのだ。

 ケノヴィッチさんと一緒に食事をしたことがある。注文した品がなかなかこないので、本のうしろから出てくるかしらと、ハムザが書棚の奥から缶詰をみつけ出すシーンを思い浮かべながらいうと、いつもやさしい笑顔をたやさない47歳のケノヴィッチさんが、急にこわい顔になった。「食べ物のことをジョークにしてはいけません」。それからすぐに柔和な顔にもどって、本当に何もなかったのだと、塩と砂糖だけで20日間暮らしたこともあったと話してくれた。

 食料もなく、水もなく、助けもなく、望みもないそんな中で、人はどうやって3年余りも生きることができたのか。それは、自分たちは人間であるという誇りに支えられていたからである。人間なのだから、自分のことだけでなく、他者への思いやりを怠ってはならない。それだけが自分たちに残された生きる道だということを、サラエボの市民は噛みしめていた。

 いま戦いが一応終息しているボスニアではあるが、セルビア共和国ではコソボ自治州のアルバニア系民族問題をめぐって、再び武力衝突が起きている。サラエボの悲劇は全世界に報道され、ここを舞台に、あるいはテーマにした映画や演劇が次々に生まれた。「ユリシーズの瞳」「アンダーグラウンド」、「ピースメーカー」もその一つだった。しかし「パーフェクト サークル」がそれらと違うのは、物語のためにサラエボを利用したのではなく、砲弾がとびかうサラエボの中にあって、内部からサラエボの真実を伝えた点にある。その真実がみる者を感動させるのである。

 隣人たちに見送られ、ドイツにいる叔母のもとへ発った兄弟は、サラエボの町外れで敵に発見される。アーディスは死に、ケリムは奪った銃で、憎しみをあらわに敵を射殺する。兄弟を演じるのは、難民キャンプで見出された素人の子どもたちで、彼らもまた、映画と同じようなつらい思いを経験している。ハムザとケリムは、もう死体を埋める余地もなくなった墓地の、道端のわずかな場所にアーディスを葬る。ハムザが立てた木の墓標に、ケリムはAdisと書き、その名をくるっと円でかこんだ。

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 20世紀は、あまりの悲しみに、大地がふるえた時代、といったのはグアテマラの女性活動家リゴベルタ・メンチュである。戦争で深い傷を心にきざんだ子どもたちが、ボスニアの未来を背負うことを、ケノヴィッチさんは心配する。だがその一方で、ケノヴィッチさんは祖国と子どもたちの未来を信じている。全体主義と憎悪が支配した20世紀に代わり、先住民もふくめた沢山の民族がそれぞれの文化を守り、人々が寛容と愛の精神をうちだすことができるなら、新しい世紀は満更ではないと私も思う。

7月末まで神田神保町・岩波ホール(03-3262-5252)で上映

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