1998年(平成10年)4月10日(旬刊)

No.36

銀座一丁目新聞

 

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ゴン太の日記帳 (2)

目黒 ゴン太

  中学校を卒業した時、卒業文集をクラスごとに作った。その中で、クラスの誰かが、私が将来なりそうなものとして、「やさしいパパ」と書いていたのを、非常によく覚えている。というのも、その当時、私が「やさしいパパ」になることは想像もつかなかったので、とても意外な将来像に思えたからだ。しかし、私は、まだ若いし、年齢を重ねてゆくにつれて、考えも変り、適当に学校を出て、適当に仕事に就いて、適当に相手を見つけて結婚するようになってゆくのだろうと思っていた。なぜなら、それが「普通」のことだと思っていたからである。

 でも、今年で21歳を迎えようとしているが、まだ中学出たばかりの頃とあまり変らないし、それどころか、ますます、私が人の親になることが現実的ではないように思っている。ではなにがそうさせているか、それは、自信がないのだ。「結婚」と「子供」に対する自信が全く生まれてこない。まず、「結婚」。例え、私に本当に愛する人がいたとしても、今の日本の中で暮らさねばならないなら、絶対にしたくない。結婚という言葉と指輪だけで相手も自分も縛りつけるようになると思うからだ。何か機械的な毎日が待っている気がしてならない。未だに、日本的とも言える家庭生活をないがしろにしてまでも、企業に尽くしてしまう風潮がある限り、自分もそれに甘んじて、家庭を見なくなるのが、今から目に見えるようだからだ。また、「子供」については、前述の通りになると、「やさしいパパ」ではなく、「形だけパパ」になりかねないので、論外である。

 私は、もし、結婚しなければならないとしたら、60歳以降にしたい。その頃なら、きっと、自分のことも、相手も大切に思えるゆとりがありそうな気がするからだ。もちろん、そんな物好きな相手がいればの話ではあるのだが。

 

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