1998年(平成10年)4月10日(旬刊)

No.36

銀座一丁目新聞

 

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小さな個人美術館の旅(32)

ブリヂストン美術館

星 瑠璃子(エッセイスト)

 ひさしぶりにブリヂストン美術館に来た。この前に来たのは、モネ展だっただろうか。その時はたいそう混んでいて、つめかけた人々の頭越しに作品を眺めて帰ったのだが、時々行われる企画展は別として、いつもはここはひっそりと空いていて、とても大都会の真ん中にいる気がしない。

 暗めの照明の下に彫刻の並べられた、ゆったりと広いロビー。その左右に、展示室がずっと奥の方まで続いている。入ってすぐ左手、第五展示室がいつも特集展示の行われる部屋で、この日は「小出楢重の自画像」展が開かれていた。その先には館蔵品を常設展示する第三、第四展示室。一度ロビーへ出て、向い側の第二展示室へと、十九世紀から今世紀にいたる絵画の流れを、私はいつも反対から回って見る。


 ここへ来て、お目あての作品に出会えないということは殆どない。第三、第四展示室では、ルオーやピカソ、マチス、アンリ・ルソーなど。第二展示室ではセザンヌ、モネ。どんなに忙しい時でも、ちょっとの時間をつくっては寄り道してゆく。超特急の時は、ルオーと、セザンヌ。これだけに会って大急ぎで帰る。そんなにまでしなくてもといわれるが、そうせずにはいられなかった。鬱屈する思いを抱いてやって来ては、いっとき心を静めてそれらと対面した。そこには時代と真正面に向かいあって生きた画家のぎりぎりの表現が凝縮していて、自分のちっぽけな悩みなど吹き飛んでしまう。平凡な言い方だけれど、ここはいつも私の心の渇きをいやすオアシスだった。

art1.gif (22900 バイト)

ブリヂストン美術館

 ブリヂストン美術館が開設されたのは、大平洋戦争が終わって七年自に入った1952年1月のことだ。戦後の荒廃から立ち直って、人々がようやく静穏な日々をとりもどしつつあった時代に先がけての快挙であった。株式会社ブリヂストンの創業者故石橋正二郎氏が、かねてより収集してきたフランス印象派と近代日本の洋画を中心とするコレクションを広く一般に公開するために、ブリヂストン・ビルの完成を機に実現したのである。


 東京駅八重洲口から目と鼻の先、焼け跡から復興した大都会に初めてできたこの「西洋美術館」が、人々にどんなに熱狂的に迎えられたか、それは、いまではちょっと想像できないくらいのものがあった。年間二十万人もの人がここを訪れ、それは十五年以上も続いた。高校生になったばかりの私もその一人で、銀座通りに当時まだ走っていた都電に乗っては、何度やって来たかしれない。フランスから松方コレクションが返還されて、国立西洋美術館が上野に開館するのは、ブリヂストンの開館から遅れること七年目の1959年である。


 石橋正二郎氏は久留米の生まれだ。はじめは足袋をつくっていたが、その将来性に疑問を感じるや、足袋底にゴムをつけて日本で初めてという地下足袋の製造に転じて成功し、ついには世界の「タイヤ王」とまでなった人だが、四十代頃から私費で好きな絵を買い始めた。ついでながら、この美術館の全ての作品は石橋氏の個人の金で集められた。企業からの援助は一切受けず、自立した個人美術館として財団化され、五十年先、百年先を見据えて経営の指針を立てているという。

 小学校時代の絵の先生だった同郷の坂本繁二郎、青本繁などから収集を始めた石橋氏が、フランスの印象派を中心に西洋の絵画へと意欲的にコレクションの幅を広げてゆくのはおおむね第二次大戦直後だった。「絵なんかよりその日の生活が大事」と資産家たちが次々と絵を手放してゆく、あるいは、財産税などで持ちきれなくなったコレクターの手からフランス印象派のいい絵がどんどん海外に逃げてゆく時代に、積極的にこれを買った。「アメリカからバイヤーや画商が来て、向こうからみればタダみたいに安い作品をどんどん買ってゆく。これを防ぐために買い集めたのです」と氏は毎日新聞のインタビューに答えて語っている。(1967.4.19)

 いま、この美術館に展示されている作品の背後に、何かしら言葉にならないある雰囲気を感じるとしたら、それは、洋画に魅せられた先駆的コレクターたちの執念や、個人美術館開館へ向けた創設者のなみなみならぬ情熱が密やかに伝わってくるからだろうか。例えば、セザンヌを日本に紹介したのは白樺派の人たちだが、彼らがセザンヌというものを見たであろう最初の作品がいまこの美術館にある「帽子をかぶった自画像」だし、ルノワールの「すわる水浴の女」は、実業家岸本吉左衛門がパリの画廊に日参してついに手に入れたもの、モネの「黄昏・ヴェネツィア」にしても、モネ邸に通いつめたコレクター黒木三次がようやくの思いで入手に成功した作品だと、私はこんど初めて学芸課長宮崎克己氏から教わった。そんな目に見えないドラマが幾層にも重なって、こんな濃密な空間をかたちづくっているのだろうか。

 「美術館としては小さなものかもしれないが、印象派のコレクションとしては世界で十指に数えられるのではないか」と同じインタビューの中で石橋氏は語っているが、「国家とか都市とかの威信を誇示するような大美術館には、印象派以降の絵は本来あわない。現代美術の大作は別として、美術そのものがプライベートな空間を目指し始めたのですから。1830年から1960年にかけて、ここ百年あまりはそういう時代だった。その時代と、日本の洋画収集の時代が重なった」と宮崎氏は語って、個人美術館というものの歴史的必然を私に教えてくれた。


 この4月からは、石橋正二郎氏の子息で先頃亡くなられた幹一郎氏の収集を中心にした「欧米の戦後美術」なる特集展示が始まり、2001年には大掛かりなルノワール展が計画されているという。いずれも、この個人美術館にして初めて可能な、なんとも魅力的な企画だ。楽しみだなあ。

住 所: 東京都中央区京橋1‐10‐1 ブリヂストン・ビル内(03-3563-0241〜3)
交 通: 東京駅八重洲口、地下鉄日本橋、地下鉄京橋より徒歩5分
休館日: 月曜日 年末年始

星瑠璃子(ほし・るりこ)

東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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