2003年(平成15年)4月10日号

No.212

銀座一丁目新聞

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花ある風景(126)

並木 徹

 脚本・演出・新月紫紺大・音楽・井上尭之「COME AFTER ME 2003」はちょっと変ったお芝居であった(4月6日・東京池袋・東京芸術劇場)。福島県に伝わる民話「うねめ物語」を題材にした横山幸子の語りを「接ぎ穂」役に舞台が展開する。時代は巡検史の置かれた十二世紀前後から現代まで。場所も日本、イギリス、日本と変る。登場人物も仲のよい夫婦、お春と絵師の次郎。イギリスでは画家のジョージ(岩田恒成)とエリザベス(高谷智子)、さらにリチャード(岩田)とエリーザ(高谷)、日本に戻り、守(岩田)と礼子(高谷)となる。男と女の失われた記憶をたどる物語である。年月にすれば800年ぐらいになる。
紫紺大の演出の発想は変幻自在である。人間の思いが時間と場所さえ越えて実現する。生きるという意味を我々に突きつける。その思いを「命の夢」と名付けた。人間の持つ「宿命」と「運命」と「天命」に登場人物は操られてゆく。
 宿命とは持って生まれた運命。運命は人間が変えることの出来るもの。天命は人間が決め、選ぶものと説明される。お春は巡検史に見初められて奈良の都に行く。自暴自棄になった次郎は酒びたしの日々を送リ、挙句のはて投身自殺する。次郎が忘れられずに都を脱出して故郷に帰ってきたお春は次郎の後を追う。無念の別れをした二人の命の夢は次郎が鹿となり、お春が鶴となる。この二人の縁はイギリスで画家のジョージとエリザベスに結びつく。エリザベスの館には剥製の鹿が飾られてある。女主人はその由来をなぜか拒否する。ジョージはエリザベスにある絵を描く約束をする。再び会うことなく二人は別れる。
時は移り、またも触れ合う二人。リチャードとエリーザである。お春と次郎の化身といってもよい。この二人も記憶を戻せないまますれ違う。
 長い時間と空間を越えて現代となる。生まれ変わりは守と礼子である。ここで初めて守は鶴の絵を描くのである。ジョージがエリザベスに約束したものである。その絵はなかなか完成しない。失明した守に角膜を移植した礼子は死ぬ。それから30年後にやっと絵は出来上がり、イギリスのエリザベス美術館に寄贈される。守にとって始めての絵であり最後の絵であった。守の命の夢の実現である。男が絵を描くことによって女の命をよみがえらせ、二人の縁をしっかりと結びつけたのである。最後に舞台正面に映し出された鶴の絵は命の永遠性を物語っているようであった。それにしても、音楽がすばらしく、快く身にしみた。

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