2002年(平成14年)12月10日号

No.200

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花ある風景(114)

 並木 徹


 カンダアキコの「バルバラの踊る」を見る(11月22日・青山円形劇場)。出演者15人。時間は一時間。あっという間に過ぎた。円形の舞台で次からつぎに繰り広げられた踊りは「天女の舞い」であった。バルバラの歌に乗って表情、体全体で表現する。愛、怒り、悲しみ、喜び、楽しさ。指先、体の屈折、横臥が喜怒哀楽に深みをつける。
 「リラのはな咲く頃」「ペルラン・パンパン」「ナントに雨が降る」・・・プログラムがダンサーたちの巧みなバトンタッチで連続的に展開される。洗練されており、爽やかである。踊りに品格がにじみ出る。
バルバラの歌がこころよい。独特の歌い方である。パリに生まれたバルバラはコンセルトバルアールに学び、歌手、作詞・作曲家として活躍する。1970年の「黒いわし」のヒットでその人気を不動のものにした。日本にも4回もきている。惜しくも1997年11月なくなった。
 カンダアキコがバルバラを踊り始めたのは、1980年2月・東京都市センターである。以後ライフワークとした。この日が101回の公演であった。アキコは7歳からダンスを始める。ニューヨークのマーサ・ダグラム舞踊学校で学ぶ(1952)。ジュリアード音楽舞踊科創作部にも入いる(1957)。さらに舞踊学校の教師になってダンスに励む。「ダンスは生きる証」と精進を怠らない。ある時、岩波ホール総支配人、高野悦子さんを囲む会で、たまたま一緒のテーブルになった。ニューヨークの話で花が咲き、彫刻家のイサム・ノグチとの交流を楽しそうに話してくれた。
 筆者にとって忘れる事の出来ない踊りが、神戸の大地震をテーマにした舞踊「黒い太陽」である(平成12年4月1日号『花ある風景』に取り上げる)。そのダンスの表現の豊かさと迫力に圧倒された。凄い人と脱帽した。
 舞踊ジャ−ナリストの寺村敏さんは「アキコはバルバラのように語りかけて歌う。遠い日の思い出、愛、夢・・・・アキコは常に『戸惑い』をみせながら踊る」(プログラムより)と表現する。その戸惑いが私には恥じらいにみえる。いつまでたってもその恥じらいは少女のようである。いまなお魅力一杯の人である。

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