2002年(平成14年)3月10日号

No.173

銀座一丁目新聞

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花ある風景(87)

 並木 徹

 黒沼ユリ子さんが自分史「ヴァイオリン・愛はひるまない」(海竜社刊)を出版された。興味深く読んだ。教えられるところが多かった。何よりも、歴史を大きく、的確に捉えるのには感心した。「勝者の傲慢な態度の陰に、自分たちの生命そのものである先祖代々の記録や伝統を目の前で焼かれた敗者の方の気持ちも感じられる人にならなければ、この地球に住む人類は、いつまでたってもけして平和を築くことはできないであろう」この認識があるからこそ次のように言えるのである。
 『大航海時代以後のヨーロッパ人によるテロ行為や侵略を「征服」とか「解放」という美名で覆い隠して、自らの国が持つ歴史の真実を忘れていようとしていた国々に、いよいよ数百年遅れの「ツケ」が回ってき始めたのではないだろうか』
 母親まささん(故人)についてふれたい。偶然、誕生日が同じであるというので、何度かお目にかかった。まさんには何か心に秘めたものをもっている凛とした風情があった。
 この本をみると、並みの母親でないのがわかる。「自分の顔が全然、気に入らない」というユリ子さんに「自分の顔は自分で作るもの。自分の顔の責任は、自分でとるものなのよ」「親からもらった生まれた時の顔のままでは、誰もお嫁にもらってくれませんよ」と答えたという。40歳過ぎたら自分の顔は自分で責任を持てと私も教えられた。たしかに顔には自分の年輪がきざみこまれる。
 8歳のクリスマスに父親がプレゼントしてくれたくれたヴァイオリンの入れ物はまささんが作ったものであった。グリーンの厚地の和服を解いて、ひと針ひと針縫ったもの。戦後、物のなかった時代である。母親の愛情がしのばれる。
 ヴァイオリンを練習中、よく「ユリ子ー、オヤクメシキではダメよ」と母親は言ったという。一生懸命に心をこめてひているのか、ただおざなりに音符だけをつなげて引いているのかすぐ聞き分けられたらしい『心をこめて音楽に没頭する時、初めて音楽は演奏者の体内に染み込み、体内を駆け巡り始めて、まるで血液のようにその人にとってなくてならないものになってしまうのではないか』と黒沼さんは解説。「お役目式」だけで稽古をつづけていたら、ヴァイオリニストとしての今の存在はなかったであろうと述懐する。
 90歳になったまささんは1997年10月メキシコに住むユリ子さんの元に行く。ここで、世界一周の豪華クルーズ「飛鳥」に乗船する機会にめぐまれたり、一流のメキシコの声楽家たちのすばらしい歌を聞いたり、日本ではけして出来なかった体験をする。
 「長い間、母には心配ばかりかけてきた私にもこれでやっと、少しは親孝行ができたかな、と思う」とふりかえる。

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