2000年(平成12年)7月20日号

No.114

銀座一丁目新聞

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追悼録(29)

 ジャーナリスト内藤 国夫さんの一周忌が全日空ホテルで開かれた(7月7日)。評論家の俵 孝太郎さんがはじめに挨拶した。内藤君のアイデンテイは三つあった。ひとつはジャーナリストとしての立場、二つめは丸山門下生であったこと、三つめはアンチ創価学会としての立場であると指摘、生前の活躍を誉めた。集った仲間、友人、知人たちの話題は総選挙での公明党に対する評価であった。
 「議席をへらしたが逆に自民党に圧力をかけられるようになった。ますます眼がはなせなくなった」というのが圧倒的であった。これはその著書『公明党の素顔』の中で都議会で与党となった公明党に対して内藤君がいち早く指摘し、心配した点であった。丸山門下生の一人がこの本を改めて読み直してその先見性をたたえた。
 内藤君は傑出した新聞記者であった。『読者が一番知りたがっていることは何か』を常に考え、組織の中での常識は読者や外部から見れば、非常識であると、内部での問題点、タブーをつぎつぎに暴露した。それだけに、内部から嫌われた。それでも意にかえさず我が道を進んだ。内藤君のえらいところである。
 内藤君は恩師丸山真男さんにつて次のように書いている。
 「足を向けて寝られない」という言い回しがある。丸山先生は筆者にとっては文字通り「足を向けて寝られない」存在であり続けた。無能な私が毎日新聞記者になれたのは明らかに先生のおかげである。いつかご恩返しをと心に期しても結果は「親孝行したい時には親はなし」の『先生版』となった。おまけに就職に際しては分不相応そのものの『身元保証人』まで引き受けていただきながら毎日新聞の社長と喧嘩して咄嗟に途中退社を決めた際には先生にご相談ひとつ申し上げなかった不義理、恩知らずぶりである・・・
 内藤君よ、そう心配する必要はない。毎日新聞の記者時代十分働き、立派な仕事をした。それは毎日新聞の歴史として残っている。読者がちゃんと評価してくれている。
 諌議院憂国徹言居士よ、安心して眠れ。

(柳 路夫)

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