2000年(平成12年)7月20日号

No.114

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
横浜便り
告知板
バックナンバー

 

花ある風景(29)

並木 徹

 久しぶりに山口を訪れた帰り、新幹線小郡駅ホームでお茶と弁当を買った。はじめは気がつかなかったのだが、お茶のカンに五首の俳句が記載されている。

  盆が来て/船着場より/島ふくらむ(福岡市 52才 芦塚美穂)

 
  白髪の/夕焼に染み/農繁期 (北九州市 21才 牟田健二)

 あとは66才の女性と15才と16才の高校生の句である。
 第10回伊藤園新俳句大賞(秀逸 中国・四国・九州版その3)とある。とすれば、すでに10回も俳句を募集し、そのつど、伊藤園のお茶のカンに印刷していたわけである。広告もしていたらしいが、うかつにも知らなかった。
 いい試みである。ここに遊び心があり、文化がある。
 お茶のカンが単なる商品ではなくなっている。次に旅に出る時、伊藤園の一番茶使用緑茶のカンを買おう。旅が楽しくなる。

 電電公社宣伝担当課長、樺沢 正人さん(42)は「商品は主役ではない、ということです。主役は人間。電話は名脇役に徹底させる」(アエラ7・10号)という。iモードは今800万人をこえる。
 行きの新幹線の中で「携帯電話をご使用の方はお客の迷惑になりますので、デッキでお願いします」とアナウンスしていた。それを聞いていたのにかかわらず、私のそばに座っていたアベックの女性は2回も携帯電話を使った。そばの男にいう言葉がふるっている。「携帯電話を使える車両とそうでない車両を設ければよいのよ」
 道具は人間の意識をよくも悪くもする。現実は道具に人間が振り回されている。道具が主役である。人間を横着にさせ、公衆道徳を守るのを忘れさせる。道具は私的な場所を公共の場所にも侵入、人間を無礼、厚顔の徒にしている。携帯電話でホームページの閲覧ができ、メールの交換ができたとしても、人の心がすさんでは考えさせられる。口では生活や文化の提案だというが、道具が名脇役で納まっていない。便利さを追求するあまり、心をどこかへほおり投げてしまった。
 だから私はドコモを敬遠する。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp