道場主今月の一言
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銀座俳句道場 道場試合第107回決着!! 3月の兼題は 「春の川」、他、自由でした。
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【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)
○強風の荒れし一夜の春の川 のぼる
「荒れし」で、昨夜来の強風のなごりが感じられます。
さざなみを立て流るるや涅槃西風
「さざなみ・流るる」で「川」は解るだろう、とはいきません。
〈さざなみの川面に立ちて涅槃西風〉。
なお、風―さざなみ、という関係性を書くと、涅槃西風という季語(季語に含まれている情報)の魅力が半減します。「涅槃西風」というだけで、涅槃会の頃の西風、しかし春なので、やわらかな感触の風に、書いた景色が取りまかれていることは解ります。
「季語」を説明しないーー関係を近く書かない、ということも、俳句上達の道です。
これは、「切れ」という構造にも関わる問題です。
○三寒に泣き出しさうな蕾つけ
これは、近いけれども、作者のやさしい眼差しが対象に添っていて結構でした。
「泣きだしさうな」が眼目の一句です。
○春の川落差に躍り流れ行く 竹風
「落差」の語が、大きい堰などでないもの、いささかの段差にも水を輝かせる、春の川の弾んだ感じを伝えてきました。
木々目覚めやすらぎて降る春の雨
「やすらぎて」が「春の雨」の感触を改めて書いていることになるのと、「降る」が「雨」に対して二重になります。もちろん、書いて悪いというのではありませんが、初学の頃は、なるべくこのような点を注意した方がよろしいでしょう。
○黄砂来て予報確かに当たりけり
遠き日の『春の小川』の木造校舎 意久子
「春の小川」を皆で歌った小学校、なのでしょうが、いささか『』が強すぎました。
○向い東風 昭和一桁後ずさり
後ずさりしつつも、やはり昭和一桁は粘り腰です。
○棚経の僧に唱和の彼岸入り
心の荷解けてまぶしき春の川 方江
「まぶしき」が上と下を繋ぎ過ぎます。
○とび越して子供に還る春の川
○七十路の余生は豊か春の川
更なる豊さを祈っております。
○春の川介護バスまで手を繋ぐ 龍子
あたたかな想いが籠った一句です。ただ「春の川」で、景が返って解りにくくなりました。
この句の眼目は「介護バスまで手を繋ぐ」という労りややさしさです。「春の川」がそこへどう働くのか?川縁に介護バスが停めてあるのか?「春の川」を見に行ったのか?などと読者の心が定まらなくなって、眼目への集中をうすれさせます。「春の風」「春の雲」などと置き換えてみると、この点が解るかと。
○正座してピンクの足裏雛まつり
○たんぽぽや楽しく死後のはなしなど
野遊びの中での情景でしょうか。広やかな春の野なればの「楽しく」「など」。
合格子笑顔の大宰府春の川 さかもと ひろし
「大宰府」という場が設定されてますので、「春の川」という場はいささか邪魔です。又、「合格(子)」も春の季語なので、季が重なります。
○連山や遠い旅路の春の川
「遠い旅路」は、はるばると連山を抜けて今「春の川」となって眼前を流れている…ということでしょう。難点を言えば、「連山や」という感動の核(遠景)、「春の川」という感動の核(近景)の二つがそれぞれに拮抗します。
〈連山より遠き旅路や春の川〉とすると、彼方に連山が見え(背景として)、眼前に「春の川」がしっかりと流れましょう。
アルプスの美映し雪解のドナウ川
「美」は削りましょう。この「美」は、書かずとも読者の中で再生されます。
〈アルプスを映し雪解のドナウ川〉
○たぽたぽと纜 遊ぶ春の川 あゆ
○あの頃のあの歌白きシクラメン
「シクラメンのかほり」でしょうか。「かをり」という歴史的仮名遣いが、この歌で「かほり」と間違って定着しました。
○いってらっしゃい駅の自販機 春の声
声を出す自販機があります。駅には「いってらっしゃい」を言ってくれる自販機があるのでしょうね。「春の声」とするよりも、
〈「いってらっしゃい」駅の自販機春の風〉と。
○まだ嫁さぬ娘のおりて雛納む 韶一
まだ嫁さぬ娘も、まだ娶らぬ息子(男女同権論者から「嫁す」「娶る」という言葉を使う精神を糾弾されそうですが)も増えた現代。「すぐに納めなければ嫁き遅れる」という言葉を苦く胸中に思いながらの「雛納め」でしょう。
○春の川井出越す流れまろやかに
つちふる日大阪便の飛び立てり
「大阪便」が必要絶対条件なのか?「中国便」では「つちふる」と重なり過ぎてしまいます。なかなか難しい所です。
○石垣に立つ白波や春の川 高風
○永き日の雀群がる水場かな
飾られてホッと笑顔の内裏雛
「ホッと笑顔」は、解りはしますが、いささか書き過ぎ。殊に「ホッと」の片仮名はいけません。「ほのと笑みたる」「飾られて面輪晴れやか」などと。
○音たてて季運びゆく春の川 照子
○散る花も咲き初む花も梅の園
二句共にしっかり書けています。
○半世紀たてど若やぐ雛かな
「若やぐ」は、飾られた雛の歓びであり、飾る喜びでもありましょう。
片岸につづく香草春の川 瞳夢
「香草」が、一句を詰屈させました。
○合羽着る犬の散歩や花の雨
真言を唱えつひたすら遍路ゆく
「唱えつひたに遍路ゆく」又は「唱えひたすら」
方丈記釣糸垂るる春の川 紫微
心理的な繋がりは解るのですが、この形では「方丈記」が唐突。
句材いささか欲張りなので、〈方丈記など思いいて春の川〉とか
〈釣糸を垂れたるのみや春の川〉と。
古都廻る運河の雪解泥まみれ
「運河の雪解泥まみれ」はなかなかに歯切れがよいのですが、何だか汚い感じです。
〈泥まじる古都の運河の雪解水〉でしょうか。
◎ピョートルの騎馬像春の雪を蹴る
「春の雪を蹴る」の颯爽。結構でした!
○泥鰌鮒掬い遊びし春の川 満子
懐かしの景。
氷上に闘志を秘めて舞ふをとこ
冬季オリンピック一句。
○春雨や四万十川の舟下り
ゆたかな四万十の流れが見えます。「春の雨」と「春雨」は厳密には微妙に異なります。「春の雨」は立春以後のまだ肌寒いけれど季節は春の、「春雨」はいわゆる仲春の雨に使う…と古い歳時記の解説。
春の川 スカイツリーを 背景に 河彦
○ゆるゆると 野草を求め 春の川
○ほろ苦く 送る集いの ふきのとう
停年退職でしょうか、それとも早期退職でしょうか。あまり「バンザイ!」と言いにくい「送る集い」のようです。いささか「ほろ苦く」と「ふきのとう」が付き過ぎますが、静かに蕗味噌などで一杯…の宴かと。
◎菜の花が着きて花屋に水流れ よし子
春先の花屋の活気。結構でした。流れる水が、これから春!の喜びを伝えます。
○利休忌の摺り足廊下折れ来たる
◎大石にぶつかる小石春の川
二句共にきちんと書けています。
○それぞれが春の川なり木曾長良 有楽
春寒や壮友逝きぬ戦士ごと
「壮友」というのは造語でしょうか。壮年の友でしょう。「戦士ごと」はマズイです。やはり「戦士のごと」です。
日露の碑昭和は見えず樟落葉
形としては〈樟落葉昭和は見えず日露の碑〉でしょうが、「昭和は見えず」がどういう思いを伝えたいのかいささか伝達性希薄です。「日露の碑」というのも日露戦争関係のものか、江戸幕府の下田条約か。
こう書きながら、何んと長い関係が両国にあることよ、と思いました。
感謝乗せ海をめざして春の川 みどり
何への感謝か。具体的なものでなく、春となった感謝なのか、そこらが不明。
春蘭に熱湯注ぎひとり膳
食べ物として春蘭に熱湯を注いで作るものがあるのでしょうか?食いしん坊としては興味津々ながら、??です。
○木瓜の花モーツァルトかけジャムを煮る
〈モーツァルトかけてジャム煮る春の雨〉などと。「木瓜の花」という具体的なものよりも行為の背景をなす季語を選んだ
ほうが、「モーツァルトかけてジャム煮る」という時間や行為がしっかりと浮き出てきましょう。
漲れる梢を揺らして春の川 弘子
どういう位置関係なのか?
○和菓子舗の女主や享保雛
○昼御酒に少し酔ひをり春の雪
二句結構です。やわらかく艶冶の感。
◎遠くみて近くをながめ春の川 美原子
結構でした。ゆったりとした流れと時間。
◎夜桜や誘いそびれて別れたり
一読した時は、この「誘い」は夜桜見物の後の何やらへの誘いかと思います。どうも、「夜桜へ」ではないかという疑問も。
○春の宵 母の室よりオルゴール
◎舟べりの木の香あたらし春の川 章司
結構です。明るい早春の気が伝わってきます。
◎孵りたる稚魚のひかりや春の川
誘はれて花の人たる西行忌
「花の人たる」が、どうもコナレが悪いです。
〈誘はれて花人となる西行忌〉でしょうか。
○しやりしやりと鎌を研ぎをり春の川 明法
○しばらくは共に歩まん春の月
贈答句として、よく働く一句でしょう。
○春昼や思惟半跏の観世音
結構でした。
△眦の長き布袋や鳥帰る 天花
何だか一寸、唐突の感。上五中七のたっぷりした感覚をまとめるには
〈眦の長き布袋や春の雨〉等の方がよろしいかと。
草青む山のふもとに道祖神
〈草青む山のふもとの道祖神〉でしょう。「に」の使用は、注意を要します。
どうしても説明的になりますから。
△春の川ポケット多きバック買ふ
「春の川」がどうも納まりが悪いようです。中七以降は、春になった喜びの感覚としてよろしいので、その気分を際立たせる季語〜「背景」となる季語を選ぶことです。 「春の風」「春来ると」などのように。
○春の川ちろちろと稚魚煌めきて 二穂
○春疾風寝ねがてに過ぐ一夜かな
春寒し椿花に鳥の集い来る
「椿」をわざわざ「椿花」とせずとも。この通りの景だったのはよくわかるので、「春寒し」「椿花」と季語の重なりは然程には気になりませんが、出来るだけ重ねぬ努力を。
○無言にて二人ただずむ春の川 悠々
遅延ばかりの選者をかばいつつの御苦労を、御詫びしつつ深く感謝!