道場主今月の一言
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銀座俳句道場 道場試合第106回決着!! 2月の兼題は 「節分」、他、自由でした。
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【評】「老人会」というのは、「老人」と決められた年齢以上の者たち同士の集まり。(婦人会などが世話役として加わる場合もあるが)「老人」が「老人」の世話をするという、心理的なうすら寒さ…が、「残る寒さ」で見事に伝わる。 |
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【評】「蕗の薹」で作者が立つ場所、そして「通らぬ汽車を待つ」によって、よりその場の状況が伝わってくる。早春のまだ冷たい風の中である。 |
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【評】仁王の大きな偏平足。この把握は結構見かけることが多いが、「冬埃」が、寒さの中に立つ、筋肉隆々の脹脛までも想像させる。「春埃」や「春塵や」だと仁王の強さが消えてしまっただろう。 |
【秀 逸】
貧乏を馴らし好日梅見酒 弘子 |
【評】 「貧乏を馴らし」の精神であればこその「好日」の実感。 |
健康によき話のみ春待つ日 照子 |
【評】寄れば健康法の話ばかり、という句はしばしば見かけますが、「健康によき話のみ」は、おだやかな詠みぶりで結構でした。 |
【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)
○福は内共に棲みたし鬼も内 みどり
三つに切れます。「共に棲みたき鬼も内」では?
○仰ぎ見る芽吹きの先に昼の月
芝居終え「シャンハイムーン」冴返る
○鬼を打つ豆土魂(つちだま)を呼び起こし 弘子
観音の掌を抜け春一番
どのように大きな(例えば高崎の)観音様でも、どうも春一番が抜けるにはぴったりとしない感じ。
節分や生まれし遠く喜寿を超え 意久子
「節分」生まれでらっしゃるのでしょうか?「や・生れし・遠く」で関わりが解りにくくなっています。
○三男坊七人分の福は内
頑張って「福は内」と豆を撒く三男坊。きっと家族思いのやさしい方でしょう。
カップ替え独りコーヒー二月かな
○節分や白鵬ひとり四股を踏む 亀山龍子
「節分」の季語の力と「ひとり」の持つ強さであろうか。翌日の「立春」だと、一句がふわふわと軽くなりすぎたであろう。今回三句共に結構でした。
○氷上のなみだ美し浅田真央
二句共固有名詞を使った作。やはり「記録性」を思う。比べれば「白鵬」の方が勝るかと。
節分や午前様なる子の帰宅 天花
からし菜やクレーンの伸びる橋工事
「からし菜」が中七以降とどう関わるかが見えてこない。
○春の靄錆の膨らむ門扉かな
「春の靄」によって、古びた門扉の佇まいがやわらかく伝わる。
節分やドコモタワーの空青く のぼる
○豆打ちは暗き庭よりはじめたる
「暗き庭より」が節分の頃の
○豆撒きてしばし無音の闇深く
○還暦の娘のために雛飾る 美原子
今年は殊に心を籠めて…、の思いが伝わる。
○かじかむ手尻の下にて暖めん
つい笑ってしまうが、ついやってしまう姿。
○まんさくの花びら伸ばし便り待つ
「まんさく」の長く捻じれた花弁の形を上手く把握している。ただ「のはなびら伸ばし」が今一つ。「まんさくの伸びる花びら」の方が、切れが生じてすっきりとなろうか。
○節分のこらえて鬼になる涙 二穂
心理的な色彩濃い一句。
○雪がふる牽引の頸つるさるる
なかなか厳しく強い一句。
〈雪が降る牽引の頸吊るされて〉
ゆきどけの寺の地蔵のなみだ顔
鬼やらふ声も帰えたる国となり 有楽
「消えたる」?
○春泥やどこまでつづく過疎の道
○節分や鬼へ園児の飴つぶて 章司
拾っても食べられる飴が、この園では豆代わり。包み紙の色が想像出来る。
鬼の面とれば園長福は内
○闘病の父の代役鬼やらひ
あれこれと案じることは多いだろうが、なればこそ厄を払おうと代役は声を張る。
○節分や園児の鬼と擦れ違ふ 満子
日本の伝統的行事を、せっせと子供たちに教えてくれるのは、今や幼稚園、保育園、そしてテレビの気象予報士さんたちのようである。
宇宙での豆撒きはチョコ野口さん
この一句も、濃い「記録性」。
○もくもくと力溜めをり冬木の芽
○節分会大文字山を正面に 方江
「大文字山」が加わることで、この節分会のはんなりとした空気感がよく伝わってくる。
住み古りて南天の実のたわわなり
空を見る亀の目細き四温かな
節分の悒鬱くぐり抜けにけり 韶一
潜り抜ければ「春」です!
○幼さの残りし襟足春浅し
○節分や吾に宿りし鬼は外 竹風
「吾に宿りし鬼は・外」と読んで下さい。
冬のバラ「よく咲いたね」と褒め言葉
〈冬のバラ「よく咲いたね」と褒めており〉
雨音にやすらいでいる朝寝坊
袋入りの出番は節分落花生 瞳夢
○水入らず阿吽で足りる冬温し
○初雪や粋がる人の姿良し
風邪ひかれぬよう!と祈りつつ…。
○節分の宮の暗がり鬼と合ふ あゆ
○幼日の角の屋 毀す春寒し
角の部屋、又は離れ家を毀すのでしょう。きっと幼い日の様々な思い出が重なる場所。子供は端っこがすきですね。「幼日」「角の屋」がいささか詰屈して読みづらい。
紅橋の小雨もよろし梅見かな
「紅橋」という固有名詞か、朱塗りの橋か?
甲高い歓声あげて福は内 高風
○境内の梅に祈願の絵馬あまた
○遠山の雲の流れや日脚伸ぶ
のどかな感触、結構です。
○節分や二つぶ三つぶ豆を食む 照子
歳の数ほど…は卒業した齢が伝わります。
○知らぬ間にふくらみゐたり猫柳
節分や野に点となり動く人 明法
○一湾をちぎらんとして春疾風
〈一湾を吹きちぎらんと春疾風〉
「疾風」に「吹く」は躊躇うところですが、「ちぎらんとして」と「吹きちぎらんと」のリズムと語調の強さを比べてみましょう。
○裸婦像の腰豊かなり春の雨
なかなか艶冶な一句。ただ、よく詠まれています。
○焙烙もて豆炒るが役節分会 紫微
啓蟄や地中深くにカタコンベ
中七以降はなかなか面白いのですが、「啓蟄」との取り合わせは、あまりにベタ付きかと。
紅白の飛梅にしのぶ流人かな
○節分やかの人思ひ鬼は外 悠々