道場主今月の一言
|
銀座俳句道場 道場試合第99回決着!! 7月の兼題は 「登山」、他、自由でした。
|
|
|
臓器移植法案は、「人間の死」とは何かを否応なく突きつけてきました。 「ドナーを待つ」ということは、他者の死を待つこと。「罪の意識」とはそのことを指します。この問題に関しては、一人一人の決断を尊重したいと思います。移植を受けた方自身が何より「命の重さ」を痛感する方でしょうから。 |
|
||
二句共に結構でした! |
||
|
|
句材のみ並べてみせて、雰囲気のある夜の景色を浮かび上がらせました。 |
【秀 逸】
グラスには森の精霊夜の冷酒 萬坊 |
「冷酒」をモダンに詠んでいます。お酒の句としてはなかなかのもの。 |
かかる日は何する気も無し花氷 天花 |
暑さも暑し、がよく伝わります。 |
母さんの在すがごとし夕端居 韶一 |
何歳になっても、というより、年を重ねる程「母」なる存在への思いは濃くなるものでしょう。 |
【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)
○登り来し獣道指す登山杖 萬坊
白南風や竜骨の錆海に地に
「海に地に」が伝わり難いです。
鳥の声聞きつつ登る樹林帯 二穂
○脚下より雲巻あがる尾根の路
○岩座の頭上にピーク仰ぎ見る
「頭上の」だとどうでしょうか。
○宴果て早灯の消えし登山宿 さかもとひろし
明日の為の早寝。闇の深さと静けさ。
強者がかつて潜りぬ木下闇
黒髪の溢れて揺れる青嵐
松林過ぎ砂礫踏む登山道 のぼる
○辿り着き登頂の風に帽子脱ぐ
「に」は削っても。
山小屋の玄関埋める登山靴
峰遠し前山呼べる青谺 有楽
○雲海やおいでおいでと富士呼べる
○尊恋う蛍今年も熱田杜
○百名山登りたる妻喜寿の朝 紫微
凄い!ですね。
○築き上げし生活を流す夏出水
本当に今夏は集中豪雨の怖さを実感しました。
○重き荷を負ふでで虫の跡光る
○あの花にまた会いたいと登山靴 方江
○夏木立おにぎり二この昼餉かな
黒電話置かれる木曽のいろり
「いろりかな」?
円(まる)メガネ叔母の登山のセピア色 意久子
写真でしょうか?
七夕や彼岸、此岸の三年半(みとせはん)
彼岸へ見送って三年半ということでしょうか?
○梅雨晴間薄荷の菓子の缶ここに
薄荷菓子がいいですね。
鈴の音も重くなりたる登山口 明法
登山杖に付いている鈴か、登山口の杜の鈴か?
ふところに影なき大樹晩夏かな
○手花火の照らす泣き顔いつかはれ
○モノクロの写真の父や富士登山 天花
心太何度も掛ける電話かな
「心太」と以下の思いがいささかちぐはぐで、一句の世界を作り上げずらいです。
季語を再考してみてください。
○浴衣着て 祇園小唄を くちずさみ 河彦
ベランダの 朝顔ぐんと 背伸びして
○「ピカドン」を知らぬ子がいて原爆忌 韶一
夢をみて煎餅蒲団や登山宿
○登山口傍らに直す靴の紐 亀山龍子
「傍えに直す」と。
月見草父の跛は幼より
○体形の似ている夫婦滝しぶき
細身でしょうか、豊かな体型でしょうか、などと楽しく。どちらにしても仲良き証。
若さとは装備もなくて登山かな 瞳夢
○帰省子の荷物の占める夏座敷
「帰省子」「夏座敷」は季語が重なります。
〈帰省子の荷に風通う奥座敷〉
○生涯にたった一度の富士登山 高風
一度は…と思いつつの場所。富士山、尾瀬、知床…怱忙と加齢の中、ますます遠ざかる場所でもあります。
○山登り脚の弱さをいかんせん
ぐい飲みのビールにゆれる喉仏
○紫陽花の艶めく雨の小道行く 照子
下五は「小道かな」で。
身篭りてゆったり歩む日傘かな
○あれが槍穂高と教えくれし父
○山頂を極むときめき富士登山 竹風
熟トマトがぶつく季節来たりけり
「がぶつく」は流動体が音を立てて動く様です。「かぶりつく」ことを言われたかったのでは?
磯遊び砂の造形潮満ちて
〈並びたる砂の造形潮満ちて〉
○山道の標となりし白き百合 美原子
○山登り句が添えてあり道標
何となく幸せになりますね。
短夜や胃痛の波によりそいて
「よりそいて」は痛みを耐える極意でもありますが、頑張りすぎは禁物です。
○富士は夢 槍 踏みしめし登山靴 あゆ
槍ケ岳を踏破した登山靴。次は…ですね。
○ひょんの木に揺れて何待つ女郎蜘蛛
○ままごとの母の口真似ゆすらうめ
○コッヘルの一人用据ゑ山の上 章司
我が家にも「コッヘル」「コンロ」「フランス製のカップ」「一澤のザック」など、息子二人を連れて登った頃の登山用具が捨てられずに残っております。掲句は一人での登山。
充足のよき時間が伝わります。
○山路を登りやうやく磨崖仏 満子
満身に風受けWALK夏夕べ
○幼子の前をうしろを夏の蝶
〈幼子の前やうしろや夏の蝶〉
○登山駅ここまで送り両手振る みどり
霧晴れてケルンに両手合せおり
○ひたすらに莢豌豆のすじを取る
「ひたすら」がよく働いた一句です。
○己との対話黙々登山道 弘子
誠に誠に。登山というのは、自己との対話であり、自己発見だと、小学校六年生を連れての「立山登山」を行事とする小学校の先生の言葉でした。
○戻り梅雨しほたれている「ゆ」の暖簾
手花火や眼裏焦がす幼な恋
「幼な恋」に「眼裏焦がす」はどうもぴったりとしません。
○荒れはてしアヤメ群落鹿ぞ鳴く 悠々