道場主今月の一言

誠の恋をするものは、みな一目で恋をする。」
ウィリアム・シェークスピア
 

銀座俳句道場 道場試合第92回決着!!  

12月の兼題は 冬の鳥」、他、自由でした



 昨夜(1月24日)の昼前から、ふいに雪がさんさんと降り始め、視界が真っ白になりました。ようやく(年末から二度、三度と数十センチ積もるという予報があってはスカでした)たっぷりの雪景色をカーテン全開で眺めました。今日も牡丹雪でしたがいささか舞い、でも今はずんと気温が上がって屋根の雪もすべて融けました。静かな土、日でした(車の音がしなくなりますので)。
 まだまだの寒さかと。ご自愛、御清吟をお祈り致します。


                           谷子
 
 

 

半音符上げて群れをり冬の鳥      天花
 敵が来たのか、餌をみつけたのか、何かがあったのでしょうか。
 「半音」の設定が、作者の敏感な感性を伝えます。

 
向ふ岸の賑はい欲しと冬の鳥      明法
 少し大きな河か。向こう岸の賑わいが感じられる程の距離。
 こちらの岸は閑散として、冬の鳥の声と影のみ。冬の日差しを載せて、寒々と流れる川面。

 
寒禽や神社の庭の古土俵      章司
 「相撲」が今もって歳時記の「秋」に入っているのは、かつての神事からきたものです。
 神社にある古びた土俵。宮相撲などが行われていたのでしょうか。人気のない神社に響く鳥の声。「冬の鳥」と「寒禽」の持つ語感の違いをきちんと選んでいます。

 


【秀 逸】

ひょいと手に「あめちゃんどうぞ」日向ぼこ   萬 坊

  まさか男性ではないでしょう。好々爺という言葉がありますが、好々婆とは言いませんねー。でもこの方は笑顔の素敵なお歳を召した女性でしょう。もしかすると、小さな子供が、お母さんに言われて「ハイ」とくれたのでしょうか?あたたかく、人と繋がる時…。

 

言訳に真実少し十二月           弘子

 「言訳を重ねる・十二月」となると、何やら約束を守れぬ状況が想像される。
 大半は嘘、その中に含まれる真実が、人の世の切なさをそこはかとなく伝える。
 

 

 

   【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)

冬鳥の影あはあはと飛びにけり                    萬坊
   「あはあは」が、冬鳥の厳しさを捉えます。
ベランダの鉢うごかすも冬支度


  視線来し翔てるは一斉冬の鳥                     明法
   「視線来し」がいささか強すぎます。中七以降に対して必要な言葉かどうか。
  冬麗や日だまり運ぶ町の川
   「冬麗」「日だまり」が重なります。〈冬うらら光を運ぶ町の川〉でしょうか。


陽だまりや眼(まなこ)を閉じた冬の鳥                 二穂
   「瞼」でしょうか?
  冬木立大空に描くフラクタル
枯菊や幽かな香り残りたり


年の瀬や待合室の椅子固き                       天花
数え日や風呂上がりにするスクワット
   「ガンバロウ!」


寒禽に夢破らるる木曽の宿                       紫微
激戦のノルマンディーや冬の虹
   旅吟、殊に歴史的な地での作品はいささか甘くなります。
短日や街の灯を縫ふセーヌ川


造船所林立のクレーンに冬の鳥                     龍子
   句材は結構です。「枯れ枝に烏とまりけり秋の暮」の現代版とも。
  歳晩や音声朗朗電子辞書
   句材は面白い。「歳晩」が不可欠なのか。
   「春の暮」とか「春の夜」又は「秋の暮」の方が情感は増すかと。

   「音声朗々」も、いま一つ推敲を。
寒風に杖立て直し詣で道


鋭き声や冬翡翠の礫飛び                         章司
  寒北斗『羊の歌』の加藤さん
   季語、動くようです。

庭に来て何を啄ばむ冬の鳥                        満子
睡りたる嬰膝に抱く小六月
水底の落ち葉の陰の魚影かな
   軟らかく、微細な物へ向く感性。


  冬の鳥独り寝椅子の読書かな                      のぼる
   「寝椅子」ではたいてい一人。
   〈冬鳥や今日も寝椅子に本を読み〉

数え日の駅頭で買ふ週刊誌
  頬を刺す風に仰ぐや冬銀河
   〈頬刺す風や冬銀河〉


  水面下もがきあがきて冬の鳥                       みどり
ゆず二つ浮かべてひそと長湯かな
ひたすらに眠るみどりご青木の実


籠出でて大風に乗れ冬の鳥                        弘子
   鳥籠の鳥を「冬の鳥」というかどうか?とは思いつつ。
  短日や豆腐屋の喇叭追い越しぬ
   〈豆腐屋の喇叭に越され日短か〉


日を拾ふ この小ささよ 冬の鳥                       あゆ
  書肆閉じて はや土地となる 木の葉かな   
   〈書肆閉じて更地となりぬ木の葉かな〉  
昼の月 まんまる上る 大根畑
   冬の昼月、真っ青な冬空の感触は美しいのですが、「上る」が必要かどうか、推敲を。


冬の鳥森にフランス料理店                         方江
追分というバス停の時雨かな
  木の葉散る空の青さを広くせり
   「散る」「せり」の終止形を再考。


前線を追う影もなし冬の鳥                          有楽
  街しぐれデパ地下のみが混みており
すぐにまた会話途絶えりもがり笛
   「の途絶え」でしょうか。
 

即発の予感に鴨の浮寝かな                         瞳夢
   何の「触発」かは、想像にまかされます。
閑日の日々をつなぐや冬帽子
  冬凪のヨットハーバー遠州路
   「遠州路」は再考を。もう少し詰めることです。


落暉背に絵画となりし冬木立                         高風
  冬鳥の水面に群れて羽づくろひ  
不景気の風の吹くまま冬至風呂  
   「不景気の風の吹くまま」には、如何ともしがたい…の思いが籠められているとは思いますが、
   下五への繋がりが今ひとつ。
   「風の激しさ」とか「風の強さよ」などと。


  寒禽の小枝飛び交ひけたたまし                         照子
捨て切って凛と立ちをり冬木立   
働きし手をいとおしみ冬至風呂 
   二句共に、作者像を思わせます。


  母につき両手合わすや冬の鳥                          意久子
   この一句では、他の季語を再考された方が良き句になるかと。
  指おりて朝の散歩の寒椿
   「指おりて」は骨折なのか、何かを数えるのか?朝の散歩で、寒椿が又一輪…、
   今日は幾つ…と数えているのか?

切りもりや五十九年の歳の暮
   「切りもり」をしてきた歳月。「歳の暮」の感慨。
   「五十九」という数がその感慨を深いものにしています。


彼の人のたよりたえぬる冬の鳥                         悠々
   情感の籠った一句。「冬の鳥」が孤絶の感慨を良く伝えます。