道場主今月の一言
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銀座俳句道場 道場試合第64回決着!! 7月の兼題は 「蝉」、あと2題は自由でした。
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親と子の心理的距離感というものは、昔と異なってきてはいるだろう。 親の自立の意識、子の核家族化…しかし、底に流れる熱く一途な思いは変る事は無い筈。「月見草」が、さっぱりと元気に見える親の、内側の情の濃さといくばくかの寂しさを浮き彫りにする。 |
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外国風景か。日盛りの烈しさと、「地下の礼拝堂」のしんとした涼しさ。 | |
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なんと言うことは無い一句に見えるが、海風と、夏館の周りの木々の茂りを、すっきりと読者に感得させる。 | |
【入 選】
コーヒーにミルク渦巻く戻り梅雨 薫子 |
風死して蟻黙黙と財を成す 老松 |
薫子さんの一句は「渦巻く」によって、戻り梅雨のうっとうしさが、老松さんの一句は、下五の措辞がこの小さな生き物の持つエネルギーとコワサとでも言うものを伝えてきます。 |
【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)
地震知る木地震知らぬ木も蝉生る 龍子
○夏蝶を乗せて電車の発ちにけり
○大出水救助の小舟に犬もまた
○一蝉の俄にぎわし夕間暮れ 薫子
○風薫る山路の果ての美術館
東京に見し絵の飛泉瀧飛沫 章司
○初蝉の短くちちとエトルリア
宮参り 記念写真に 汗みずく 霞倭文
初蝉は ただ一匹で 必死鳴く
歩くほど 止まれば汗は 噴出して
〈止まる度汗の噴出す千歩万歩〉
○ふるさとの背戸は変らぬ蝉時雨 花子
○今日のことビールの泡に溶かしけり
○合歓の花今年は母の七年忌
三句共心の篭った作品でした。
空蝉の蒼空見上げしがみをり 竹雄
○玄関に打ち水のあり客迎ふ
部屋の中 気分すっきり土用干し
みんみんや廃屋に残る紋瓦 天花
「残る」が必要かどうか再考を。
○荒葭簀蕎麦屋の主の話し好き
説法を聞く子の正座七月尽
「七月尽」よりももっと絞って、「盂蘭盆会」「魂祭」など。
○走り根の雨露しみる蝉の穴 あゆ
○初蝉やためらひつ振る神の鈴
「初蝉やためらひつ鳴る神の鈴」と。
水音の風が撫でゆく合歓の花
上五、いささか詰屈です。景は涼やかですが。
学び舎も森に埋もれて蝉時雨 正己
「も」が必要かどうか。
○庭先に今朝も三本へぼ胡瓜
○金剛の山の端白し夏の月
○一蝉の俄にぎわし夕間暮れ 薫子
○コーヒーにミルク渦巻く戻り梅雨
○風薫る山路の果ての美術館
住み古りし土間の安らぎ蝉の鳴く 方江
エプロンをはずし挨拶カンナ燃ゆ
○夕蝉や芭蕉糸縒る媼の手 のぼる
世話役のすすめ上手な祭酒
「世話役のすすめ上手や祭酒」と。
○夏雲や声を限りの応援歌
蝉の子の羽化せんとして四肢を張る 洋光
○蝉の子の羽化の始終を見てしまふ
刎頚の友の新盆たちまちに
気持ちは解るのですが、「たちまちに」を再考。
○たった一声初蝉を聞きにけり 山野いぶき
かなかなの声に誘われ散歩かな
○夏木立レトリーバーの集会所
○夜のとばりなほ啼き止まぬ深山蝉 紫微
○流灯や南溟までも届けかし
○水打ちてのちまらうどを待つばかり
○蝉声のはたと静寂ラヂオ鳴る あきのり
園庭のチャイムよどみて大暑かな
○ばさばさと草チャク擲って川へ裸の子
「チャク」は誤植でしょう。
尾瀬の原 蛍の舞いに 迎えられ 河彦
○栗の実に 緑の雨や 芭蕉館
「栗の実に雨も緑や芭蕉館」でしょうか。
蝉一匹 忘れたころに 鳴き始め
鳴く蝉のはたと止みたる昼さがり 満子
○叔母見舞ふ石見路西へ青葉潮
雲海にぬっと顔出す富嶽かな
○ワーグナーと競演している蝉時雨 さかもとひろし
空蝉やありし日のわれの似姿か
○積乱雲レバノン砲煙遥かなり
劇場を出て蝉時雨のシャワーかな よし子
「宝塚劇場を出て蝉時雨」のように。
白靴や少年の日の吾子が来る
○密豆や恐竜展の帰り途
「蜜豆」ですね。
空蝉や生あるものの姿して 二穂
○梅雨明けや月下美人の花開く
風蘭の香りて刻はゆったりと?
「風蘭の香やゆるやかに刻流れ」と。
○三伏や皿は揃ひの藍模様 だりあ
オートバイの尾灯カラフル百日紅
人を待つけやきの風に蝉の声 萬坊
○雪辱の少年野球蝉しぐれ
無造作に僧侶の出しぬさくらんぼ
狭庭なれ 終の棲や蝉時雨 老松
疎ましき蚊の一匹に執しけり
シャワーして覚弥で茶漬夏の朝 美原子
「シャワー」は一応夏の季語。ここでは中七以降を生かして、
上五を再考して見てください。
病得て優しくなりぬ桃の肌
「病得て優しくなりぬ秋蛍」などと。
○病室に短冊まわる星祭
○畏見て玉音放送蝉時雨 意久子
○「これあげる」千代紙の箱に空の蝉 みどり
波消しのブロックの浜蟻走る
○えごの花散りしく道の別れかな
初蝉や葉脈透ける山の経 弘子
「山の径」
○闇戻り遠ざかりゆく花火船
○桃洗う赤子のように掌に包み
○この先も絶望の道か蝉を聞く 悠々
1945年20歳、陸軍士官学校生として敗戦の日を迎え、
戦後復興の中心として走り抜けて来られた方に、60年以上
経って、同じ蝉声にこのような感慨を抱かせてしまうことに
胸が痛くなります。
「絶望の虚妄なるはまさしく希望と相同じ」という言葉をふいに
思います。「この先」への責任を痛感しつつ。
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