道場主今月の一言
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銀座俳句道場 道場試合第56回決着!! 11月の兼題は 「小春」、「木の葉」、「セーター」 で した。
今年も師走半ばとなりました。何と早いことか、と改めて一年という時の早さを |
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オードリー・ヘプバーンの細い首。意表をつかれながら、深く納得させられる一句であった。誠に上手い一句。 | |
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相手に悟られない様に心を静める。「セーター」なればこそ、その胸の隆起が思われる。 | |
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小春日の中の小動物はよく詠まれる題材だが、この一句、犬の目に焦点を当て、更に「細くおとなしく」で、と覗き込むような姿勢とあたたかな思いが伝わってくる。 | |
【入 選】
ゲレンデの赤のセーター見守りぬ 瞳夢 瞳夢さんのは、「見守りぬ」によって、赤いセーターの一人だけを追う視線と心が伝わる。 |
小春日や昼の憩のテーマ曲 とみゐ とみゐさんのは、「昼の憩いの」という畳みかけで、伸びやかでよき気分が伝わる。 |
木の葉散るラッタッターと鼓笛隊 竜子 竜子さんのは、寂しさに偏りがちな「木の葉散る」と言う景色を、童画風の明るい景に変化させた。 |
小春日や橘寺の壁白し 正己 正己さんのは、「橘寺」という固有名詞がしっかりと力を発揮している。 |
【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)
小春日に四代揃いに新嘗祭 老松
「に」の重なりが気になります。「小春日や」「四代揃う」とされるとよろしいでしょう。ただ、「新嘗祭」というと天皇家四代ということになりますので、どういうことか、いささか首を傾げます。「小春日」「新嘗祭」の季語の重なりは、「新嘗祭」がその一日のことなので、このままで結構です。因みに国民側としてはこの日は「勤労感謝の日」です。
テェディーベア手編みのセーター新調す
○すぐ来よと院へ急ぎし木の葉髪
「院」は病院だけではありませんが、何かしら家族の急病か、などと不安な感じが伝わります。「急ぎし」ですから
〈すぐ来よと院へ急ぎし木の葉雨〉と。
○縁側に寝転んでゐる小春かな 京羅坊
旅人はゐのちを詠ふ木の葉かな
○セーターや女子校生の坂の町
女子高生の持つ特有のやわらかな感触が伝わってきます。「坂」の力でしょう。
も知れぬ木の葉に匂ひ軽目焼 傘汀
打ち間違えなのか、頭一文字が抜けているようです。何だか面白そうな句材だけに
一寸残念でした。あれこれと、五音だけでなく七音までも考えたのですが、不明のままでした。
大空の果てまで澄みし小春かな
○友の訃にセーターのまま駈けつけし
○母の忌や 小春日和を 賜りし 花子
○想い出は 母と小春の 野辺歩き
○行楽の 鍋に木の葉の 仲間入り
芋煮会でしょうか?楽しそうですね。
○小春日や座りし姑の背丸き 方江
○木の葉散る道かえてみる万歩計
セーターの編目を風が通りぬけ
〈風通り抜け易し手編みのセーターよ〉などと。
○見上げればジャンボ機小さく小春かな 竹雄
○トンネルを抜けて奥入瀬木の葉雨
セーターの胸の凸起を射す視線
先ず「凸起」というのはどうも感心しません。「胸のまるみを」などと。
「射す視線」は男の視線というよりも、同性の視線の感じがしました。
○しなやかに猫駆け上がる屋根小春 瞳夢
○久濶の友迎えんや木の葉降る
○木の葉散る賀状欠礼葉書来る とみゐ
感激の手編みセーター色褪せし
木の葉雨母退院の朝来たり 門次郎
○若くあれ青いセータープレゼント
〈若くあれ青いセーター贈らるる〉
〈君へ贈る青いセーター若くあれ〉
○鎌倉の谷(やつ)から下る小春かな 有楽
○一年が一生なりし木の葉散る
○セーターも小さくなりぬ想い出も
○本陣の上段の間の小春かな 吐詩朗
なかなかの一句です。
からからとポプラ落葉の舞ひ奔る
セーターの派手な絵柄や応援歌
○昼の楽ゆったり流れ島小春 あゆ
○忘れ癖きりなくなりし木の葉髪
○セーターに残る煙草の匂ひかな
脱ぎ置かれたセーターか、自分のセーターか。それぞれにドラマを感じさせます。
○小春かな松本楼に客あふれ 洋光
木の葉降る終の栖てふ土蔵
中七から下五へのリズムをもう少し。「といふ」とされてもよいでしょう。
譲られし子のセーターに若やげる
「お下がり」ならぬ「お上がり」というようですね。明るい色のセーターが思われます。
小春日の郵便ポストに五歩六歩 意久子
木の葉ゆるる八階の窓無菌室
八階に「無菌室」があることを知っていて、下から仰いでいるのでしょうか。
無菌室からの眺めとすると、「木の葉ゆるる」が窓の側で揺れているようで、奇妙
な感じがします。
○蜜柑色のセーターときめ髪洗ふ
中七までは大変結構です。「髪洗ふ」はここでは季語としては働いていませんが、
もう少し推敲されてみてはどうでしょうか。
〈蜜柑色のセーターと決め明日は逢う〉などと。
○小春日といふ贈りもの学園祭 景子
櫻落葉忘れしままや三輪車
〈櫻落葉忘れしままの三輪車〉と。
○ほどしゆくセーター子のもの孫のもの
「ほぐしゆく」でしょうね。
小春日や思考回路は行き止まり もとこ
セーターの袖ひっぱって臍を噛む
「臍を噛む」という思いには、中七までどうでしょうか。それぞれは面白いので、
二句出来そうです。やってみて下さい。
○木の葉散る立禅の背を打ちながら
○セーターの早出の看護士帰りをり 竜子
小春日や縁に父子の語りをり
○町裏の小春日和や人を待つ みどり
○木の葉散る昨日のことはすべて忘れぬ
〈昨日のことはすべて忘れぬ木の葉散る〉と。
とり込みのセーターふっくら陽の匂い
古セーター小さき真珠を装ひぬ 弘子
つつましく、好もしい一句です。
○一葉に逢ひに菊坂小春の日
○廃校に降り積む木の葉あまねき陽
束の間の木の葉の舞やつむじ風 正己
秋高し白波寄する片男波
「片男波」というのは強い波ですから、中七はいささか重複の感。
○コスモスや少女で逝った姉の笑み
山裾をうねりて遙か葡萄園
木の葉時雨決然飛び抜く白い鳥 さかもとひろし
いささか言葉だけが先に走っています。
○セーターの重ね着重く喜寿の人
遠のくや術後の想い木の葉舞う
三つにぶつぶつと切れますので、
〈遠のける術後の思い木の葉舞う〉と。
○人恋しセーター頬にあててみる 美原子
小春日を細いに分けあいブナ林
良いところに眼を凝らしておられますが、中七の表現をもう少し頑張ってみてください。
病上がり体馴らしに木の葉掃く
○嫁ぐ子の来て話し込む小春かな よしこ
○木の葉道嫁ぎゆく子と歩を合はせ
とよもせる寿ぎの声小六月 紫微
○木の葉雨隣の屋敷売りに出づ
「売りに出(い)づ」というと、家そのものが出たみたいです。「売りださる」が駄目なら、「出(で)し」でしょうか。
○姉編みしセーターの糸ほぐれけり
「姉編みしセーター」のよろしさ。
頬赤き少年の日もセーターかな あきのり
〈頬赤き少年の日よセーターよ〉でしょう。
○百万の散りゆく木の葉惑いなし
青空と酒の小瓶に小春かな
○降り立ちば日向は小春日和かな 満子
〈降り立てば日向は小春日和かな〉
○セーター脱ぎフェニックスロード疾走す
結構です。
○木の葉ふる高千穂峡の深さかな
○はらはらと 木の葉ささやく 母の墓 河彦
ゆらゆらり 木の葉色づく かずら橋
○友が逝く 木の葉の落ちる 音を聞く
「逝く」「聞く」と二つの終止形が入るのは、通常は避けますが、この句では
その強さが働いて、かえって慟哭を聞くように思われます。
十数粒の ぶどう一気に 噛みしめて
○くちづけのごとくぶどうをくちびるに
誕生日 祝うコスモス 宅急便
○木の葉舞ふ小径に向きて木のベンチ 水の部屋
○セーターの少年の胸薄かりし
ひと波の砂城はかなき小春かな
「ひと波に」でしょう。
○番犬の大の字に寝る町小春 天花
戌の日の巫女の小走り小六月
安産祈願の参拝者多数、というところでしょうか。「小」の重なりを再考してみて下さい。
○小春空ひと口サイズの握り飯
○小春日やピーターラビット持たされて 萬坊
木の葉散る真青に一本飛行雲
北斎に着せたしセーターVネック
タートルネックでは如何でしょうか。
○小春日や武将の像は鳩載せて 美沙
「鳩を載せ」ではないところ、軽やかになりました。
○朝日影今を一途の木の葉かな
○セーターを詰めて故郷の海鳴りへ
結構です。
母の編む セーターのまだら 少年期 姥 懐
「まだら」は網目が不揃いなのか、いろんな糸でということなのか?
〈母編みしセーターいつも大きくて〉などでも回想の一句になります。
庭守の 水面の木の葉 限もなし
〈庭守に水面の落葉限もなく〉と。
○女子学生 腰に上着の 小春かな
○小春日や荒行に入る僧の列 薫子
散歩する犬もセーター縞模様
○夕灯し木の葉の栞透きとおる
○小春日の母に抱かるる子猿かな 章司
新しき手編みセーター異郷の子
○木の葉降る音に寝落ちて山の宿
○三々五々 コンビニ弁当手に 小春 霞倭文
○なぜ そんな 友は手術と 木の葉舞う
まだ着れるピンクのセーター 姉手編み
どうも「着られる」のら抜き言葉には抵抗があります。
小春かな母へ報告ひとつ増え だりあ
○木の葉降る魔よけの鈴の音の清し
想ひ出の文集仕上ぐ小六月 のぼる
○木曽川の日暮は早し木の葉降る
木曽駒岳や画家を気取るる黒セーター
〈画家を気取れる〉でしょう。
○廉恥とは死語となりしか木の葉踏む 悠々
構造設計事件でけでなく、誠に誠にと思います。
「恥の文化」とでもいえるものが皆無になりました。
「恥を知る」というのは本来、自身の倫理感に対してのものと
考えると、「倫理感」ということばそのものも全く消えてしまって
いるということでしょうか。嗚呼。
足許で立てる木の葉の音が切ないですね。
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