道場主今月の一言

創造的たろうとして脇道にそれてはならない。通常なされていることを観察し、それをよりよくしようと努力すればそれでよい。」
( アントニ・ガウディ(スペイン建築家))

銀座俳句道場 道場試合第53回決着!!  

8月の兼題は 「遠花火」「涼夜」「日盛り」 で した。 

 久々の選挙フィーバー。自民の大圧勝に茫然としつつ、「小選挙区制」の仕組みを身にしみて感じ取りました。
 政治家にとっても国民にとっても、刺激的な勉強だったと言えます。一番身にしみて欲しいのは、野党でしょうか。拮抗してくれなければ、国民は一票を有効に使用出来ないということになりましょう。それにしても、「刺客」などという吐き気のするような言葉にもメゲズ、女性達のきっぱりしていたこと!と改めて思ったことです。(すべての女性候補に大賛成ではなくても)ようやく、そのような女性が育ちあがってきつつあるということ、でしょうか。
 各地の台風ご被害お見舞い申し上げます。北九州も昨年ほどの被害はありませんでしたが、最高潮の時に網戸が外れベランダに出ましたが、5秒で全身濡れ鼠。雨が痛い!という体験をしました。
   まだまだ台風シーズン。関東地方は集中豪雨禍、御注意を。
  (谷子)

    〈職辞して日盛りの中帰りけり〉
添削をしても採りたい一句でした。万感が篭っています。お疲れ様でした。
 
 白く燃えるような日盛りの中の遺跡。「崩れゆく」の表記の方が、よいでしょう。
 「ふるさとを枕にする」、まるごと故里にゆだねた感じがよく出ています。
 

【入 選】

 夜涼し晒に刺して青海波    水の部屋
ダブルの賞は初めてですね。涼やかな一句。

 日盛りの中に突進して行けり    山野いぶき
この姿勢!頑張らねば…と思います。

ほろほろと崩るる海の遠花火   あゆ

 

   【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)

 臥す人の 笑みに安堵の 涼夜かな      花子
 日盛りや 通るは律義な 人ばかり

素謡の湖面を流る涼夜かな      瞳夢
日盛りや犬も通らぬ静けさよ
 遠花火いくさ語りや夜の更ける

遠き日の邀撃夜戦遠花火       傘汀
 喜怒哀楽と友と分け合う涼夜かな
   <喜怒哀楽友と分け合う>…と。
 蒲焼きの匂日駅前日の盛り

遠花火まだまだしたき事ありぬ      方江
徳利のふれる音して涼夜かな
日盛りを歩いて帰る一人かな

そら鳴った遠花火にせかされて       景子
   〈行くぞ!>とか、〈早く―〉とか言う声も聞こえそうですね。久しぶりの浴衣の帯を結ぶのに
   てまどっているのでしょうか。

 手花火と星座探しの涼夜かな
   いささか材料過多。それも季語っぽいのが。
日盛りの猫は身長伸ばしきり      
  〈日盛りの猫これ以上伸びられぬ〉

遠花火二上山の遥かなり            正己
日盛りや嬌声走るコースター
   出来れば「ジェットコースター」と使いたい。
仄暗き門を出て見る涼夜かな

天国の人驚かす遠花火             竹 雄
 人肌の懐かしかりき涼夜かな
   〈人肌の少し懷かし夜涼かな〉
欲かきて日盛りのなか野良仕事
   この篤実さと、卑下の精神。

遠花火ニュース松井のホームラン        とみゐ
   まるで遠花火が、祝意のようです。
○考へのがらり変りし涼夜かな

   〈変わりし夜涼かな〉⇒がらりと変る夜涼かな
 車窓より他人事に見る日盛りや
   下五〈日の盛り〉と。

若き日の父の文読む良夜かな           薫子
 日盛りやリュックも軽き女坂
遠花火音の途絶えし厨水
   聴覚二つの句。静けさが伝わります。

遠花火湖上に舟の影いくつ          洋光
 駒下駄の音の行き交ふ涼夜かな
   いささか道具立てが整い過ぎています。
日盛りの陰を拾ひて帰りけり 

 マニキュアの刷毛ゆるやかに遠花火         意久子
   〈遠花火マニキュアのまだ乾かずに〉
切りぬきの歌壇俳壇涼夜かな
 日盛りにひざ掛け冷房〆切日
   クールビズにすると、〆切には間に合いそうもありませんね。

日盛りや銀座は外つ国人の街                  有楽
   単に外国人が多いというだけでなく、銀座に氾濫の外資系の店並が浮びます。
 間の闇に己もおりて遠花火
   「間の闇」の「間」がどうも落ち着きません。遠花火によって認識する
   「己」の存在というテーマは結構です。

くろぐろと山鎮まりぬ夜冷えし
   〈黝々と山静もりぬ夜涼かな〉

 稜線の宝石となる遠花火           吐詩朗
快活な井戸端会議涼夜かな
   何時までも続く井戸端会議。女性の元気な声。
白壁のまこと白かり日の盛り

ヒース咲く半島の旅涼夜かな        霞倭文
日盛りやテレビ捻れば選挙戦
 子叱りつ母車輪こぐ遠花火
   「車輪こぐ」という必要があるかどうか。自転車で駆けつけているのでしょうか。

子ら去りて縁に二人の涼夜かな     あゆ  
日盛りを来て黙々と検針夫 

遠花火厨に満ちて醤の香       水の部屋 

    

  擬宝珠にふるさとありし遠花火     京羅坊
   「擬宝珠にふるさとありし」というのはどういう事をつたえたかったのでしょうか?
 天然の谷風ありし涼夜かな
   「谷風ありし」といえば、天然のものです。よき谷風を強調したかった気持ちは解るのですが。
日盛りやケイタイあまた歩きをり
   まことに、まことに。

遠花火大人三人はしゃぎおり     山野いぶき 
母といて星を見上げる涼夜かな

 日盛りの往還行くはわれひとり    満子
過ぎし日のことのあれこれ遠花火
 嬰なだめすかして巡る涼夜かな
   「巡る」がいささか邪魔になります。夜の街を泣く嬰児を引っぱって歩き回ってる感じになります。
   泣く嬰児をあやしているのでしょうから〈泣く嬰をあやし疲れし夜涼かな〉でしょうか。

背中押す父かも知れず遠花火     もとこ
   作者と父との胸中の対話。
月涼しあの何処からか宇宙船
蝉時雨立禅てふ静けさに

 遠花火郵便局ある港町        天花
日盛りやいぐさの匂ふ雑貨店
涼夜かな上り框の白き擦れ
   古い上り框、丁寧に拭きあげられた旧家でしょうか。

尾を立てて猫帰り来る涼夜かな 竜子
   猫が一番涼しくなったことに敏感ですね。
 停滞の国道に消え遠花火
日盛りやマンモス館の列長し
 
団欒のビルレストラン遠花火      紫微
 業終へて二人の夕餉涼夜かな
   中七までで、ようやくほっとして…の感が充分に伝わります。そこへ「夜涼」
   (これもほっとする気分が主です)更に強調して「かな」と重ならない方がよろしいでしょう。
   下五を「夜涼し」とするだけでも随分違ってきます。

日の盛り岩肌赤き自刃の碑(阿南陸相)

ヒロシマを 語る若者 遠花火                河彦
遠花火 リバーシティーの 窓辺から
 胸の谷間を いくつ見たやら 日盛りに
    いささか辟易の感ですね。

遠花火里の訛りのご挨拶                   だりあ
迷ふてばかり日盛りの蝶一匹
 赤ん坊の拳のぎゅっと涼夜かな
   「涼夜」でいいかどうか。「拳のぎゅっと」でいいかどうか?

折鶴の幽かに羽ばたく涼夜かな                美沙
父の忌の六十年けぶる遠花火
   〈父の忌の六十年や遠花火〉で、しっかりと伝わります。
 橋多き町瀬音立つ日の盛り
   材料を整理してください。「橋」「多き」「瀬音」…二句出来ます。

 日盛りの国会議事堂宴かな                  さかもひろし
(東京の高層ビルから眺めて思う)
遠花火水面に映るはナルキッソス
 日盛りにシェクスピア劇選挙戦
(8月30日公示に)

高層のクレソンサラダ遠花火                 老松
    このクレソンサラダ、おオシャレで、きりきりと冷えて美味しそうです。
日盛りを背負ふこの坂男坂
 松島に瀬音の中の涼夜かな
    ここは〈松島の瀬音の中の夜涼かな〉です。

日盛りにほうき売り来て長話                 美原子
 難解のパズルに苦戦遠花火
涼し夜の洗いたてカーテン軽く揺れ

日盛りの校庭息をひそめけり                 よしこ
遠花火昔の恋の話など

すれ違ふひとの香淡き涼夜かな                    章司
日盛りや工事現場の弁当箱
遠花火傘寿の父の肩を揉み
   父と子の寡黙な愛情表現。

早逝の 母を異国に 遠花火              姥懐 
   「戦争」を想起しました。
 この窓の 外は涼夜か 四畳半
日盛りや 老舗の土間の ひんやりと

遠花火この六十年を想ひけり            のぼる
風通る蓮池に佇つ涼夜かな
   蓮池と夜涼が季語として重なる感じがしますが、このままでよろしいでしょう。
生活の音みな消えて日の盛り 

校庭にチャイム大きく日の盛る             あきのり
離るれば小さき世界よ遠花火
思ひ出にゆられ寝入る子涼夜かな
   三句共に揃っていました。

良くしゃべる二人に間あり遠花火           萬坊 
  幸つつむ地方新聞涼夜かな
   「幸つつむ地方新聞」ってどういうことでしょうか?
   地方紙に包まれた幸せを感じさせるものならば、具体的に。

日盛りを顔冥きひと五六人
   なかなか面白い一句です。

重篤の 人想う宵 遠花火             陽湖
坂道と 路地の温泉(ゆ)の街 涼夜かな
山国の 故に貴く 日の盛り
   「故に」というのはなかなか使い方難しいのですが、かっきりと働いています。
    
ひとと逢うホームの端に遠花火         みどり
   〈人と逢うホームの端や遠花火〉
   〈遠花火ホームの端に人と逢う〉

  涼しさに読みかけの本手にする夜
   〈読み止しの本を手にする夜涼かな〉
幻聴かミズヲクダサイ日の盛り

日盛りやうなだれかかる寄席幟          弘子
    面白い一句ですが、「うなだれかかる」というのはどうも不思議な言葉です。
    「しなだれかかる」とは言いますが。

 遠花火土手に集へる花筵
    花火と花筵は夏と春の季語です。
出席の返事投函涼夜かな


満州や包子食いたし遠花火                 悠々
   〈包子〉パオズという音が、懐かしく響きます。


 

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp