道場主今月の一言

「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす 」
(山家鳥虫歌 ―近世諸国民謡集―)

銀座俳句道場 道場試合第43

回決着!!  

10月の兼題は 「秋の夜」 「秋の海」 「紅葉」 で した。

  またもや遅延のお詫びです。11月初めに句稿を戴きながら、現代俳句全国大会の実行委員長としての後処理をしつつ、国民文化祭俳句大会の地元として副委員長役。それが終わって、半分ほどこの選句を終えたのに、不注意から全部添削などを消してしまって、新たにやっております。これを終えたら、収録で上京です。(道中の仮眠を楽しみにーーと書いたのですが、そのまま、今車中ですーー車中NHKより電話。ゲスト森村誠一氏メニエル氏病のため出演不可能。これから到着後代わりの方の交渉です。落ち着かず、車中で送れなくなりました)
 中越地震のご被害を受けた方、又、ご縁の方おられないだろうか、と案じております。もう三週間経ったというのに、余震、雨と続く日々。人間の力のもろさと、命の強さと。唯々これ以上の辛さが重ならぬように祈るばかりです

   (谷子)

 

 自由律風の一句です。豊かな時間がゆったりと伝わってきます。
 深い思いが伝わってきます。逝かねばならなかった若い命、魂を真っ赤な紅葉に重ねている作者です。
 どんなにご心配でしょう。しみじみ心に沁みます。

【入 選】

床ガラスよりの眼下の秋の海       吐詩朗

波待てば波来る逗子の秋の海      みどり

戯れの指切り秋の波騒ぐ         美沙
極上の声の猫呼び秋の夜         竜子
秋の夜回覧板に見知らぬ名       天花
 

   【投稿句】 (順不同・赤い字は選者添削、◎は入選)

○汽車に寝てふるさと思ふ秋の夜           京羅坊
竿先へ風吹き渡る秋の海
 紅葉せるイチロ-が夢讃へをり

 年重ね盛年の日々秋の夜              竹雄
  「年重ね」に「盛年」を重ねない方がいいでしょう。
モルジブへ潜りに行くと秋の海
  出来れば「潜り」と言っているので、「海」は削りましょう。
 紅葉は嵯峨野めぐりか神護寺へ

 捨て置かる甕の歳月秋の浜              遥 
 草紅葉ややに大きし宿の下駄
  「ややに大きし」は、いささかこなれが悪いです。
凭れたる柱に匂い秋夜かな
  〈凭れたる柱の匂う秋夜かな〉

秋の夜は下戸ともどもに酌まむかな         傘汀
 星の砂戦友の欠片(かけら)かんつう秋の海
  「欠片かんつう」の「かんつう」が解りません。「星の砂」を
  「戦友の欠片」との思いは胸に沁みるのですが。

草紅葉遮るものの無かりけり

 秋の夜に住職の声低くなり             正己
  「秋の夜に」の「に」が、説明臭くしてしまいます。それでいて、何故低くなったかは作者のみしか解りません。
  〈住職の声の低さや秋の夜〉でしょうか。
断崖にうねり登りて秋の海
山門を入りて紅葉の道遠し
  〈山門を入りて紅葉の道のなほ〉

錆色の沖に陽矢飛び秋の海             有楽
 真砂女影銀杏紅葉の稲荷横
  「真砂女影」という造語はあまり感心しません。雰囲気と思いは伝わるのですが。

声の出て鸚鵡の如し秋の夜       清七  
 リハビリの言語訓練声の出て
  〈リハビリの言語訓練秋の昼〉お大変でしょうが、リハビリがんばってください。
 退院し紅葉の門2回潜りにけり
  生きて我家の門を潜れた、この紅葉の美しさに迎えられという思いなのでしょう。嬉しいことです。何よりでした。ただ、病院の門と我家の門と二回ということか、我家の紅葉の門がすばらしいので二回も眺めたということか、一寸解り難いです。それからやはり「二回」と和数字で。
     
 
 摩文仁の碑ただ安かれと秋の海      瞳夢
訥弁の主と向き合う秋の夜
年金のつましき贅や紅葉宿
   「つましき贅」に、「紅葉宿」が静かに添う感じがします。

 イチローのニュース秋の夜充実感           とみゐ
  「イチロー」の記事をスクラップしているオジサマを知っていますが、少年のように熱っぽく「いかにスゴイか」を語って くれます。「スゴイナー」とBSで拍手をしつつ、「NOMO」の記事を読みたいナーと思っている私メです。
 秋の海還暦過ぎてサザンかな
  「サザン」は「サザンオールスターズ」でしょう。「還暦すぎてサザンかな」というのは、それまでは興味なかったのに「サザン」に嵌った、ということでしょうか。それとも「還暦を過ぎても尚」でしょうか。少しあいまい。元気印ですが、「サザン」の面々もオジサンになりました。
○回廊も燃えんばかりや寺紅葉 

   
    寺井谷子句集「街・物語」
 秋の夜や写真の俳句なぜだろう      吐詩朗   
  「街・物語」を読んで下さって、嬉しいことです。写真と俳句の「×」の一冊です。「何故こうなるのか」の部分を味わって下されば幸いです。
もみづりて朝日とり憑く庭楓
  朝日の中の紅葉は、夕紅葉とは別種の、活き活きとした力にみちていますね。

戸を叩く風となり来る夜半の秋             あゆ
亀の子にひたすら遠し秋の海    
  海へとひたすら進む小亀の後姿。夜の気配が入るともっとよくなるでしょう。
落人の一村染むる山紅葉 

贈られし歌集抱へて秋の浜              意久子
 あまたの時計ただ刻めリ秋の海
  〈あまたの時計ただに刻めり秋の夜〉と。「秋の海」でなければならない必然性が、読者には伝わりません。

磁場一点 なじみの店に 秋の夜            河彦
  つい笑いました。確かに「磁場」でしょう。ましてや酒美味き秋の夜。〈磁場一点なじみの店や〉でしょうか。
 照葉(てるは)峡 紅葉の時を 待ちかねて
 五十九歳秋の夜の手習い墨を磨る 
   思いは解りますが、わざわざ五十九歳を言わずとも。
   〈秋の夜の手習いの墨を磨りをり秋の夜〉
   

秋の夜の亡父恋ふ紅茶にブランデー           天花
  拙句に〈霧時雨父よウイスキーティーの時間です〉というのがあったのを思い出しました。やはり父が亡くなって後の句です。
手作りのビーズの指輪秋の夜       
  「秋の夜」の中での輝き。ビーズの指輪の、どこかに残るチィープさとはかなさと。

遠くゐて聞く友の訃や秋の夜             洋光
大漁の旗高々と秋の海
 遡るほど色深む紅葉かな
   いささか言葉で書きすぎています。
  

駅前に民宿の文字秋の海            方江
シンホニー小さくかけて秋の夜
再会す今日の湯の宿うす紅葉

絶え間なき余震や秋の夜の長き        のぼる
 波音を宿に聞きをり秋の海
  「波音」「海」と二つは必要ないでしょう。
   〈波音を宿に聞きをり薄紅葉〉でしょうか。

小雨降る文学館の櫨紅葉

 飽きもせずカタログめくる夜半の秋    山野いぶき
    通販カタログでしょうか。
薄紅葉ランチ広げる女学生      
  中七は「ランチタイムの」と
 秋の海波と戯るふたりかな
  のぼるさんの句評と同じ。
 〈秋夕焼(秋の風 などでも)波と戯るふたりかな〉でしょうか。


湖からの風に芯あり櫨紅葉            水の部屋
  「芯あり」は「風の硬さや」でしょう。
燈台のペンキ塗りたて秋の波
 ひとつ灯を囲みて秋の夜の家族

三四郎のストレイシープ秋の夜          だりあ
 秋の海放物線に石放る
 大紅葉山連れだちて三十人
  「山連れだちて」はいささか生硬。

 幕末の史実に目覚む秋の夜            紫微
秋の海「ミナマタ」を生み今凪げる
 全山をいろどる絨緞紅葉織り 
  「絨毯」「紅葉織り」はいささか見立てが子どもっぽいかと。

いぶされて築弐百年の秋の夜           中土手
 〈いぶされて築弐百年秋の夜〉「の」を消してください。
人工の干潟といえど秋の海       
 小突かれて紅葉の径に迷いこむ 
   「小突かれて」は、「世間に」の意味合いでしょうか。そう思わないと「迷いこむ」が働きませんね。

 震(なゐ)の村の眼裏にある秋の夜半        美沙
  「の」がひつようかどうか。
手術待つ少女の窓の薄紅葉 

老い猫の釣果待ち侘び秋の海           竜子
紅葉山北北東より風攻むる                        

終電の灯曲がりし先秋の夜          田淵萬坊  
  リズムを整えましょう。「曲がりし先」だと何もわざわざ曲がらなくても、となるので、〈終電の過たる後の秋の夜〉と。
 黒々とコンテナ船の秋の海 
  〈黒々とコンテナ船や秋の夜〉「船」「海」と重ねないように。
 ゆらゆらと廁覗くや照紅葉
   
ゆすりつつ日を飲まんとす秋の海             あきのり
  「ゆすりつつ日を飲まんとす」で、大きな一句となりました。
 雨を摶ち葉を落としたる大紅葉      
  「雨を」の「を」を再考してみて下さい。
父が居て母炊ぐ土間秋夜かな
  懐かしき日本の風景。「秋の夜」なればこそ、でしょう。

 大地震のニュースの続く秋の夜         二穂
 練習船難破せり秋の海
  「…船」「難破」「海」を整理しましょう。
  〈秋夜更けゆき練習船の難破せり〉

紅葉や山から熊が町にくる
  オモシロイ…と言っていられませんが、でものっそりと
  熊が出てくる感じで、この一句を読んでいると、共存可能なような思いに捉われます。


秋の夜や 遠野の宿の 痩せカッパ        姥懐
 流木の 相に誰があり 秋の海
  「誰があり」を再考。
  〈流木に誰彼の相秋の海〉でしょうか。

 日の薄き 狭庭に遅し 紅葉かな

 うめく声の地の裂け目より秋の夜           みどり
  中越地震からの発想でしょうか。俳句で書くには、一寸シンドイですね。
この怒り耐ゆるほかなき紅葉燃ゆ
  紅葉の赤さが迫ってきます。

羅災者の言葉少なし秋の夜       弘子
  弘子さんの今回の「中越地震」作品は、このような時事の作品を考える時の助けになるでしょう。作者の「心が添うこと」の大切さです。
秋の海またひとり来ぬクラス会
  海近くでのクラス会。来なかった一人のことを皆が心に抱えます。

 秋の夜寺のコンサート正座にて           美原子
 根本の見直しせまり秋の夜
借りた本一葉の紅葉はさみおり
  〈借りし本一葉の紅葉はさみあり〉
 
竜宮の深く沈んで秋の海           さかもとひろし
  結構です。
 異国船能古志賀ぬける秋の夜
 〈秋の夜の能古志賀過る異国船〉
 琵琶湖染む楓紅葉背に船一つ
   あれもこれも言いたいので、ごちゃごちゃします。
   〈船進む琵琶湖の楓紅葉背に〉でしょう。

   
バスタブに秋の夜白く溶け入りて            陽湖
  「溶け入りて」は、少し言葉に甘えています。
亡娘もいて記憶の中の秋の海
 身を灼いて老醜さらし逝く紅葉
  いささか自虐的です。「老醜」「さらす」「逝く」とこれでもか、これでもか…の感。少し引き算を。

 人いきれ 砂に埋もれて 秋の海           花子
 秋の海 怒涛の前の やさしさよ
  「怒涛の前の」の「前の」は時間か位置(場所)か。
  「秋の海」とあって、「怒涛」となるので、そう考えてしまいます。〈秋の夜の怒涛の前のやさしさよ〉だと、もう少しすっきりと読者の胸に落ち着くでしょう。

人恋し 砂にはらばふ 秋の海

なだれたる地震の禍のやま薄紅葉          章司
  「やま」は「山」と。   
 紅葉山ちやんばらごつこせし一日
秋の海コンビナートの朝日影

生きぬいた子は優太なり秋の夜              悠々                  
  「優太」という名付けに籠められた親の願いと祈りが、小さな命を守ったのだとも思えました。心に沁みる一句。見守り、涙した日本中の祈りの心を、彼の明日の上にと願っています。

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