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小さな個人美術館の旅(76) 原美術館 星 瑠璃子(エッセイスト) 原美術館は個人美術館では珍しいコンテンポラリー・アート専門の美術館だ。今年で開館二十年になる。 かつては御殿山とよばれた東京・北品川の、こんもりとした林に囲まれた閑静な住宅街を行くと、四千五百平方メートルという敷地の中にアール・デコ風の洋館が現れた。東京国立博物館や日劇を手がけた渡辺仁の設計によって昭和初年に建てられたこの建物は、もとは実業家・原邦造氏の邸宅だった。一部を改装して現代美術館としたのは、孫にあたる原俊夫館長である。 戦後早くに、当時としてはまだ珍しいアメリカ留学をした原俊夫氏は、ひとつの夢を抱くようになった。それは美術館設立の夢で、その後、実業人としての人生を歩みながら、「アメリカを中心にヨーロッパやアジアの現代美術を日本に紹介、と同時に、日本の若い作家を支援し、やがては世界に日本の現代美術を紹介したい」(『うちの美術館』)と構想を練った。1978年、私財を投じて「アルカンシェール美術財団」を設立、現代美術を紹介する上で欠かせない内外の作品をそろえて原美術館をオープンさせたのはその翌年のことである。 さりげなく置かれた立体作品が夏の日差しや木々の緑を反射してキラキラと輝く芝生の庭を横切って、玄関に入った。ロビーや廊下の壁面、らせん階段を上ってゆく階段上の踊り場にもレリーフや小品が飾られた内部は、さも美術館でございというふうが少しもない、いかにも自然なたたずまい。どこか富豪の邸宅にでも招待されたような気分で、八つの展示室をひとつひとつ丁寧に回った。どの部屋にも人々がひっそりと佇んで、互いに静かに黙礼を交わす。 いま行われているのは「ものを語る/ものが語る」と題された館蔵作品によるコレクション展で、年に二、三回、主題や形を変えて行われるもののひとつだ。立体作品や版画やドローイングなど、内外の作家二十人による多彩な展観の中で、GALLERYVと表示のある第三室のビデオ・アート「Hands」が私にはひどく刺激的だった。ゲイリー・ヒルというアメリカの作家の1996年の作品で、小さなむきだしのブラウン管に写し出されて絶え間なく動く手――デジタル技術で作られた人工の手の映像の、果てしない変幻である。 手といえば、階段を上がったところにある伊島薫「タマオシリーズ」にも心魅かれた。これはそのまま二階廊下の展示へとつながってゆくモノクロームの写真のシリーズだが、その裸身や手足の、「昇華された」美しさ、静けさ。同じ「手」を扱いながら、さきほどのビデオ・アートとの鋭い対比。その他の作品も含めて、めくるめくばかりの展開には息をつくひまがない。 二階の、不思議な形をした小さな細長い部屋は、入口を入ると暗闇の中に青く発光する幾百のデジタル数字と赤く発光するデジタル数字がそれぞれ異なる速度で9から1までをまるで永久運動のようにカウントダウンする空間で、その中を通って出口まで導かれるという富島達男のインスタレーションである。三階の展示室全体をつかったジャン=ピエール・レイノーの「ゼロの空間」(床から天井まで白いタイルを張り詰めた異空間〉とともに、私たちをそれまで見たことも聞いたこともない異次元の世界にひきずりこんでしまう。この二つの部屋はいわば「常設展」だろうか。 原美術館ではこれらコレクション展の他に、企画展をこれも年に二、三本行っているが、さらにここでは飾りきれないような大きな作品は伊香保の分館「ハラ・ミュージアム・アーク」で展示するというなんとも贅沢な話であった。 作品に堪能すると、私は、そこにも立体作品が置かれた庭園を見晴らすガラス張り半円形のカフェテラスで、冷えた白ワインを飲みながらお昼を食べた。こんな「作品」を「見た」後は、気持ちが浮き立つ。血管に新しい血が流れはじめて、ワインのせいばかりではなく、心はお祭り気分なのであった。 そして翌朝。私は群馬県の伊香保にある「ハラ・ミュージアム・アーク」へ向けて車を走らせていた。渋川・伊香保インターで関越を下り、「グリーン牧場」とゴルフ場の間の道をゆくと、木造の倉庫のような建物が見えてくるこちらは磯崎新の設計。涼しい風の吹き抜ける一面の緑のなかで、黒い大きな建物はそれ自身がオブジェのようだ。
A、B、C館と思い切って天井の高い大きな展示棟内外の作品については、いちいち触れているヒマがない。というより、どんなに言葉を費やしても、それはほとんど無意味だ、という気がする。現代美術に限ったことではないけれど、体験してみるしかないのである。 一番年長でも四十代前半という若い日本の作家たちの、思い切って現代的な作品を見せてくれる今回の展示は題して「天国で地獄」。私はまたしてもドキドキ、ワクワクしながら三つの展示棟を回るのだった。 ここでは毎年夏休みに「アートは楽しい」と題して、ふだんこうした作品に接したことのない人や、こどもたちにも楽しめるようなイべントを用意しているのだが、今回の「天国で地獄」はその十回目の試みという。百聞は一見にしかず。こんな試みに参加したら、現代美術が好きになってしまうこと受けあいだろうなあと、目も、耳も、心も全開にして作品と向き合う。原始、芸術とはこういうものだったのではあるまいか。そんなことを思いながら、ポニーの群れ遊ぶ牧場に向かって一杯に開かれたレストラン棟のべランダで手作りの冷たいお菓子をご馳走になった。 しあわせな体験だった。興奮し、心を奪われた。同時代性とはこういう感覚をいうのだろうか。原美術館を評して、「一番好きな美術館をひとつだけ上げろといわれれば、一度しか来たことがないのにここを選ぶ」とだれだかが書いていたが、昨日、今日の私もそんな気分である。まったく、「アートは楽しい」。
星瑠璃子(ほし・るりこ) このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 www@hb-arts.co.jp |