手軽に犯罪をおこすようになった。熊本市での三人組による女子大生誘拐事件はその最たるものであろう。誘拐事件といえば、一応金持ちとみられる家庭の子女が狙われる。今回、犯人は特定せず、誰でも良かったという。綿密周到な計画などなかったようだ。手軽というよりお粗末すぎる。
それよりも感心させられたのは、被害者の母親の犯人との電話の応答である(8月24日付毎日新聞より)。母親の声のみ書く。
−声を聞かせてくれませんか
−美穂ちゃん、どこに居るの、ご飯たべた?
−帰って来れるようにその人に言って。
−母さん一人で心配してるからね。どこに居る?分からない?
−どうしたらいいですか。
−お金ですか
−そちらから言って下されば。
−どうか無事で。いくらぐらい、一応言っていただけませんか。
−100万円でも10万円でもいいんでしょうか。
−貯金とか調べないと、ただ娘を無事に帰して下さい。
−一生懸命、お金集めて、助けてあげるから、もうちょっとがまんしてね。
−今500万円くらい手元にあるんですよ。いくらくらい考えていらっしゃるんでしょうか。
−主人の車しかありません。ちゃんと見られたんでしょうか?母親の気持ちを分かって下さる方と信じて、本当、主人と二人なんですけど。
−美穂の命がかかっていますから、私の方でも必死です。本当に主人と二人なんですから。
−ありがとうございます。ずっと信じてきましたから。だから、お金はどうしたらいいですか。
−もう本当に命と一緒ですから。美穂の顔をやっぱ見れないとお金は渡せません。お願いします。
言葉のはしばしに娘の無事を必死になって願う母親の気持ちがにじみ出ている。言葉が具体的である。「ご飯食べた?」「100万円でも10万円でもいいんでしょうか」。犯人に訴える泣かせ文句も出てくる。「母親の気持を分かって下さる方と信じて」「ずっと信じてきましたから」「もう本当に命と一緒ですから」
気持が動転している時、これほどの応対ができるのは、気丈な女性であると同時に頭の良い方でもあるからだろう。人間、窮地に陥った時、その人の人柄がはっきりと出る。