小さな個人美術館の旅(11)
ニキ美術館
 
星 瑠璃子(エッセイスト)

 ニキ・ド・サンフアルの名を知ったのは十年くらい前だったろうか。そのころ私は、三人の女性作家、大庭みな子、瀬戸内寂聴、田辺聖子とつくる女性の文芸誌「フェミナ」の創刊準備に追われていたが、巻頭のカラーグラビアにニキの作品をもってこられないかと考えていたのである。たまたま見た作品集に衝撃を受けてのことだった。結局、あまりに先鋭的に過ぎるということでその企画は陽の目を見ずに終わったが、めくるめくばかりの色彩と、超過激でありながらユーモアに満ちた作品は、「かなわないなあ」という感想とともに、それ以後も私の胸にくっきりと刻まれていたのである。

 何が「かなわない」のかといえば、これは今度知ったことなのだが、たとえば六十年代のニキはこんなふうに言っている。「男に対する怒り、男の権力に対する怒り、自分を個人的に啓発できるはずの自由な場を男たちが奪ってしまったことに対する怒りを示してやりたかった」「私はテロリストになるかわりにアーティストになった」。

 写真で見るニキその人はといえば、「ライフ」や「ヴオーグ」の表紙を飾るモデルだったと聞けばだれでもがナルホドと頷く美貌の持ち主で、こんなに美しい女性がこんなに攻撃的なのである。私はまた「かなわないなあ」と深くため息をつくのだった。「原始、女性は大陽だった」と書いたのは1911年の平塚らいてうだか、わが「フェミナ」は、やはりニキやらいてうの攻撃性はもち得ない。それは、ひとつには商業べースの文芸雑誌の宿命であったかもしれなかった。

ニキ美術館
 

 ニキは1930年生まれ。父はフランスの貴族で、家庭でも、カソリックの学校でも厳しい戒律と躾のなかで育てられた。十八歳で結婚。二十一歳で母となるが、モデルとして社会的自立をはかりながらも、欺瞞に満ちた社会の状況にたえきれずに鬱病になり、精神病院で治療のために制作を始めたのがこの道に進むきっかけとなった。

 そのニキの造形作品を集めた美術館が世界に先がけて初めて日本にできたのはいまから三年前のことだ。偶然出会った版画の小品に心底魂をゆさぶられた館長増田静江さんが十五年の歳月をかけて作品を蒐集、私財をなげうってこの美しくもユニ−クなニキ美術館を建てたのである。

 ニキとの出会いを語っている増田さんの言葉が私は好きだ。

 「ニキの作品に会った時、私は『ニキは私だ』と思いました。……母親として妻として何とか世間並みにハミ出ないように生きた私ですが、ニキの作品は私をこどもの時の裸の女の子、好奇心の強い失敗を恐れない女の子に戻したのです。そして、人間として、女として新たに生きる勇気や夢、誇りなどを与えてくれた」。ちなみに増田さんはニキの一つ年下。戦争をはさんだあの困難な時期に少女時代を過ごした。

 那須高原の豊かな森に囲まれた八千平米の敷地。純日本風の長屋門をくぐり、微かなせせらぎの音を聞きながら林のなかの小道を下ってゆくと、小さな池越しに美術館が見えてくる。ニキ作品の「曲線には直線を、円形には方形を、色彩の饗宴にはモノトーンをデザインの基本コンセプトにした」と、館長の夫君でありプランニングディレクターである増田通二氏は書いているが、なるほど見事な設計だ。はじめはニキ自身のデザインによる美術館を建てるはずだったが、国立公園法など様々の制約からそれができなかった。となれば、ニキの作品を生かすにはもうこれしかない、というような建物である。

 オリエンテーションルームを通って展示第一室に入ると、まずは初期の「シューティング・ペインティング(射撃絵画)にぶつかる。絵具の缶や袋を石膏でぬりかためた分厚い「キャンバス」をライフルで撃つ。と、飛び散った絵具が、あたかも血を流したようにキャンバスをのたうちまわるという仕掛けだが、それにしてもなんという激しさだろう。 この手法が以後さまざまに変化をとげた後、かの有名な「ナナ」か現れた。

 「ナナ」は、女性の自由を象徴するニキの代表的シンボルというが、抑圧されたものを全部吐き出してしまったあとの、この女たちのなんと明るく豊かなことか。ここを訪れた女性たちはみんな「元気をもらった」と言って帰るそうだが、分かるなあ。

 そして、ニキのことを何にも知らずに美術館に来た女性のアンケートに次のような文章があったという。

 「作品を見ながら、自分の過去がフラッシュバックのように思い出されて、涙が出てとまらなかった。自分が本音で生きて来たのは間違いではなかった。これからも本音で生きてゆく確信が持てました。ありがとう」。

住 所 栃木県那須町湯本203  TEL 0287-76-2322
交 通 東北新幹線那須塩原、又は東北本線黒磯より那須温泉行バス新那須下車徒歩7分
休 館 水曜日(祝日の場合はその翌日)

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

 東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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