小さな個人美術館の旅(10)
信濃デッサン館
 
星 瑠璃子(エッセイスト)

 よごれちまった悲しみに
 今日も小雪のふりかかる
 よごれちまった悲しみに
 今日は風さえ吹きすぎる

 だれもいない、しんと静まりかえった真夏の信濃デッサン館で、痛ましい青春の歌をうたって三十歳で死んだ詩人のうたが、突然口をついてでてきたのはいったいどういう思いからだったろう。短い生涯を精一杯生き描いた画家たちの無垢な魂がただひたひたと伝わってくるこの室内にいて。

 東京から上田まで二時間半。そこから迷いながら三十分。信濃デッサン館はようやく辿りついた小高い山の上にあった。車を下りると草の匂いがした。上田市郊外、前山寺の参道の入口近く、丈高い夏草のなかにひそやかに息づいている小さな美術館である。あたりは「信濃の鎌倉路」などと言われて寺の多いところだが、なかでも前山寺は「未完の塔」と呼ばれる美しい三重塔で人に知られる。

信濃デッサン館
 

 つたのからんだ簡素な建物に入ると、ほの暗い空間に、大正や昭和に戦争や病いで若くして死んでいった画家たちのデッサンがひっそりと肩をよせあって並んでいる。村山槐多二十二歳、関根正二二十歳、野田英夫三十歳、松本竣介三十六歳、靉光三十九歳……。大きなタブローはない。いずれも小さな素描ばかりである。

 なぜ夭逝の画家なのか、と館主、窪島誠一郎氏はよく聞かれるがうまく答えられない。美術館ができたのは1979年だがその少し前、「みなしごが建てたみなしごの美術館」と氏が書いていたのを読んだことがある。

 窪島氏は戦争のために三歳で両親と生き別れ、養父母に育てられたという過去を持っていた。一人で親を探し続け、三十歳を過ぎてようやくめぐりあった父が作家の水上勉であったことは新聞や雑誌、氏の本をもとに作られたテレビ「父への手紙」などでよく知られている。餓えるように親を探し求めていた自分を「みなしご」と感じたのだったろうか。

 ここを作る前、窪島氏は画商だった。その前はスナックをやっていたが「酒を売る商売」にどうしてもなじめなかった。貯めたお金でこつこつと作品を蒐集、この美術館を作ったのである。作品を求めて全国を歩き回っていた頃のことを氏は次のように書いている。

 「絵を探しているうちに、何か自分自身をさがしている気持になるのはふしぎだった。まるでそれは未知の自分自身を追いもとめているような旅だった」。

 だが画商時代は絵は売り買いの商いであったから、どんなに心を残す作品でも売らなくてはならない。どうしても手放せなかった作品が手元に残り、それが夭折画家のデッサンだった。

 ところで、デッサンとは何だろう。少なくともタブローの「下書き」ではあるまい。デッサンとは、タブローと違って描き手の裸の心がそのまま現れるものではあるまいか。デッサンをやっているとき、ひとはそれを見る人のことなど考えない。手が自然に動き、自分の心さえ忘れて対象とじかに向き合う。だからこそデッサンは、描き手の心をそのまま伝えてくるのではなかろうか。親を、魂の故郷を求めて彷徨った窪島氏のよるべない心が、幸薄かった夭折画家の裸の心とじかに出会った。そしていま、この山奥の美術館で、その作品は今度は私の胸にじりじりとくいこんでくる。描いた人ばかりでなく、それをここに置いた人の心までが重なって。

 この五月、窪島氏は戦没画学生の慰霊美術館「無言館」を完成させた。ここから歩いてゆける、隣の山の頂きにそれはある。時代も違う。有名、無名の違いがあっても、無垢な魂が伝わってくるという点では同じだ。「夭折」とは「未完」の別名かもしれない。しかし、それは「未完」だからこそ美しい。「未完」だからこそ「永遠」なのではあるまいか。

信濃デッサン館

 信州平野を一望する喫茶室で、そんなことをいつまでも考えていた。眼の前には百八十度、信濃の山々が濃く薄く藍色を重ねあわせて広がっている。繁った葉が落ちる冬になれば浅間も見える。館主が自らかき氷をかくこともあったというが、最近はとても忙しい。喫茶室を預かる若い男性が、いつまでもぼおっと座っている一人だけの客をほったらかして、いっぱいに開いた窓の脇の大きな桑の枝を下ろしている。

 「どの季節が好き?」

 と聞くと、しばらく考えて、

 「やっぱり春かな」

 と答えた。

 雪とける四月には前山寺の参道の染井吉野が一斉に咲き、美術館は花吹雪に埋まってしまう。そして、それがまるで春の合図のように、りんごやぼたん、藤やつつじが咲き乱れる。「信州の春の美しさは言葉ではいいつくせない」と言う。

住 所 長野県上田市東前山300 TEL 0268-38-6599
交 通 JR信越線上田駅よりタクシー20分
休 館 なし

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

 東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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