「杉の子たちの50年―学童疎開から明日へのメッセージ―

大竹 洋子

藤原智子監督
「学童疎開」記録映画製作女性の会製作
日本/1995年作品/ドキュメンタリー/16ミリカラー/100分
文部省選定
厚生省中央児童福祉審議会特別推薦
1995年度日本映画ペンクラブ ノンシアトリカル部門第一位
1995年国際女性映画週間参加作品

 1944年8月、日本の敗戦のちょうど1年前に、都会に住む小学校(当時は国民学校)の生徒たちが、先生に引率されて父母の許を離れた。世にいう学童疎開である。全国で40万人を上回ったというこの学童疎開は日本のみならず、第二次大戦中のイギリスやドイツにもあった。そしてどの国の子どもたちにも共通していえるのは、この体験が彼らに、国境をこえてふしぎな連帯感をもたせたということである。

 この子どもたちを歴史の証言者としてとらえ、彼らが生きた"昭和"という時代を問うとともに、その体験が未来に何を残し、何を伝えるか、を考えるために作られたのが「杉の子たちの50年」である。

 "昔 昔 その昔 椎の木林のすぐそばに 小さなお山があったとさ"で始まる「お山の杉の子」の歌が、戦争中の日本を風靡した。チビの杉の子が、周囲の大木たちにバカにされながら、一生懸命に成長してゆくというもので、映画のタイトルはこの歌によっている。

 遠足気分で地方に出かけていった子どもたちの前には、きびしい現実の生活があった。毎日三度の献立を6ヵ月間書き記した少年、上級生のいじめを告発する者、戦地の父から娘に届くあふれる愛の手紙、そして美しい田園風景…。しかし、安全を求めたはずの地でも、子どもたちは命を落とした。天災によって、あるいは敵機の機銃掃射をうけて。そして、800人近い子どもたちが犠牲になった疎開船「対馬丸」事件、両親を東京大空襲で失い、疎開先で孤児になってしまった下町の子どもたち。自分たちだけが生きのびた辛さを、今も背負っているかつての学童たちは、決して見すごしてはならず、決して忘れてはならない戦争の証言者なのである。

 監督の藤原智子さんも、その世代の一人である。東京大学卒業後、記録映画の世界に入り、すぐに優れた作品を次々に発表したが、結婚して子育てのあいだは、シナリオライターの仕事に専念し、20年後に監督に復帰した。学童疎開を経験した藤原さんの母親としての視線は、平和を願う強い意志となって作品に反映する。「杉の子たちの50年」は、そういう藤原さんと、その友人たちの協力で生み出された。

 このすぐれて見事な映画は、文部省と厚生省の推薦を受けてはいるが、行政はもっと積極的に、日本中の子どもたちに見せてもらいたいと思う。まためぐりきた暑い夏に、そのつど繰り返して叫び、そのつど風化してゆくもの、戦争がもたらすものは何かを、明日に生きる子どもたちに語り継ぎ、言い継いでゆかなければならない。"戦争を知らない子どもたち"などと、呑気に歌っているいる場合ではないのだから。

16oフィルム貸出先 「学童疎開」記録映画製作女性の会(03-3702-1965)

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp