小さな個人美術館の旅(9)
無 言 館
 
星 瑠璃子(エッセイスト)

 真っ白な雲にむかって山道を上りつめたところに「無言館」はあった。東信濃は塩田平の丘の頂きに、まるでこの青い空のどこかからもってきて置いたとでもいった感じで、ひっそりとそれは立っていた。それにしても、なんという静けさだろう。コンクリートの肌むきだし、余分なものいっさいをそぎ落とした僧院のような外観は、戦没画学生の慰霊美術館にいかにも相応しい。

 いまから二十三年前、「祈りの画集」と題するNHKのテレビ番組があった。制作したのは小林徹さんという当時の教養部ディレクター。あるとき小林さんは、芸大の卒業生名簿を見ていて、昭和十年代後半の卒業生の住所欄に空白の多いことに気付いた。卒業するや戦争に駆り出され、帰ってこれなかった人たちだと分かるのに時間はかからなかった。終戦のとき小学生だった小林さんは、いわば兄たちにあたる彼らのことを、残された作品ともども何とか番組に取り上げたいと思うようになった。

 名簿の空白を埋める作業からとりかかった。いったい遺族はどこにおられるのか。それがわからなければ一歩も前に進めないのだ。ようやく放映にこぎつけたもののまだまだ不備が多い。三年後の八月十五日、再び「空白のカンバス」なる番組を作って世に問うた。どちらも企画の段階から当時の芸大教授、洋画家の野見山暁治氏のお世話になったが、番組に感動した日本放送出版協会の編集者、大石陽次さんがこの番組を本にして残したいと企画し(当時はビデオテープなどなく、番組は放映すればそれで消えてしまった)、こんどは野見山氏が大石さんともども企画にのめりこむ側になった。

無言館
 
 亡くなった人たちの殆どは野見山氏の同世代。同級生や先輩、後輩たちだ。氏自身、戦地で肋骨に水がたまり、死線をさまよったあげくに内地に送還された経験を持っていた。だが、半年かけて戦没者の家々を回りながら氏は、「うしろめたい思い」をずっと抱き続けた。なぜ彼らが死に自分は生き残ったのか。遺族が大切に守ってきた作品も、このままではいずれ雲散霧消してしまうだろう。戦争すら、遠い過去の出来事として忘れられてゆく。彼らの生きた証しが時代の波にただ消されてしまっていいものだろうか。そんな思いを秘めて氏の文章は重く悲しい。一年がかりで、全国から画学生たちの絵を集め、野見山氏らの文章を掲載した本『祈りの画集』ができあがった。

 その本の、多分読者だったろう一人に信濃デッサン館館主、窪島誠一郎氏がいた。信濃デッサン館は、村山槐多や関根正二ら夭逝の画家の作品を集めた小さな美術館。生きた年代は違ったが、戦没画学生とはやはり兄弟のような人たちだった。いらい、窪島さんの頭に彼らが住みついたとしても不思議はない。しばらくして、野見山氏と窪島氏が出会った。信濃デッサン館が毎年開く槐多忌に野見山氏が講師として招かれたのである。その夜、問わず語りにぽつぽつと語る野見山氏の言葉が、窪島氏を無言館建設に向けて走り出させることになった。これは後の言葉だが、野見山氏は次のように書く。

「……あの惨めな時代に絵や彫刻をつくって生きてゆきたいと願った若者たちには、いかに幼く挫折したにしても、誰をも納得する一点を残していることに気がついた。灯火のような明かりが画面の底から浮かびあがり、時がたつにつれて私に訴えかけてくる」「芸術とは本来そういうものではないかと思う。無名の、画家とはいえない人々のほのかな明かりで、壁面を灯すそんな美術館があってもいい」。

 二人で、やがて窪島さんが一人で全国を回った。画集から数えても二十年が経ち、遺族には亡くなった方もあって作品蒐集は難渋をきわめたが、二年余りの歳月をかけ三百点くらいが集まった。はじめはデッサン館の一隅にとスタートした美術館が、さる五月二日、ついに開かれたのである。今度は窪島氏の文章から。

「無言館の電話がひっきりなしに鳴っている。雑誌や新聞で開館を知った人からの問い合わせである」「私はそんな電話が鳴るたびに、少し憂鬱な気分になる。……自分が平和運動のリーダーか反戦運動の旗手にでも祭りあげられたみたいな居心地の悪さと後ろめたさを感じて身がちぢむのである。これは大変なことになった。何かがまちがっているんじゃなかろうか」。

 間違ってはいないのである。重い扉を押して館内に入ると、ほの暗い空間が十字の形に広がっている。そして、そこに掛けられた絵のなんという明るさ、のびやかさ。残された生のわずかな時間を、ただ対象に向き合う喜びに生きた青年たちの姿がこんなにも切実に伝わってくるなんて。戦地からのエハガキにも、ボロボロになったスケッチブックにも、暗いものはひとつとしてなかった。こんな青年たちを戦争は奪った。戦後半世紀。作品を守り続けた遺族たち、声なき言葉を伝えようと懸命にがんばったディレクターや編集者たち、レンガ募金に賛同した多くの人々、土地を提供してくれたという上田市。そして悪戦苦闘しながら無私の情熱を燃やした野見山暁治さん、窪島誠一郎さん、ありがとう。ここは、芸術とは、人間とは、平和とは何かに思いをこらす、まさに祈りの場なのですね。

 

住 所 長野県上田市東前山300
TEL 0268−37−1650
交 通 JR信越線上田駅よりタクシー20分
休 館 水曜日(祝日を除く)

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

 東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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