ポーランド・クラクフにて  その3

 ライコニックはクラクフの春のお祭りである。東洋風の民族衣装に身を包み、ハリボテの馬にまたがった大将とその部下たち10人余りが、楽隊の演奏と共にクラクフの市街を練り歩く。子どもを連れた親たちに観光客も加わって、行列をひとめでも見ようと、沿道や町角は人、人の波で埋めつくされる。

 ライコニックの起源は13世紀に溯る。怒涛の勢いで世界中に攻めこんだタタール軍は、1241年にはここクラクフにもやってきた。彼らはよほど勇猛果敢に戦ったらしく、以来その武勇はクラクフの人々の間で語り継がれ、異国調の衣装も気に入られて、19世紀には祭りという形に定着したのだという。

 今年のライコニックは6月5日。例年にもまして盛んだったのは、一行の衣装が50年ぶりに新調されたからである。これを受け持ったのが舞台美術家で衣装デザイナーのクリスティーナ・ザフヴァトヴィッチさん、アンジェイ・ワイダ夫人である。

 ライコニックの衣装があまりボロボロなので、見かねたクリスティーナさんは新調を申し入れ、クラクフ市の予算がついた。しかしクリスティーナさんは心配だった。何事にも目の高いクラクフの住民たちが、新しいコスチュームを気に入ってくれるだろうか。

 彼女の不安は杞憂に終わった。7時間の道程を行進して、人々に健康と繁栄を約束したライコニックの最終到着地、旧市街の広場の仮設舞台の上で、クリスティーナさんは市長をはじめとするクラクフ市民から大歓声で迎えられ、“マダム・ライコニック”と呼ばれることになった。そしてクリスティーナさんを写真に収めようと群衆の中にいたワイダさんは、「マダム・ライコニックの夫のアンジェイ・ワイダ氏」と紹介されてしまったのである。

 祭りはいよいよ終わりに近づき、最後は参加者一同「100年生きよう」の大合唱になった。スト ラッド スト ラッド ニエフ ジーエ ジーエ ナム ……、嬉しい時も、つらい時も、ポーランド人が歌うナショナルソングである。私は映画の中で何度もこの歌をきいた。

 あれから約1ヵ月が過ぎ、NATOに加盟したポーランド国民の前に現れたアメリカのクリントン大統領のスピーチに心が動いた。「あなた方に100年間の安全保障、100年間の民主主義、100年間の自由を約束します」。あれは「100年生きよう」をふまえての発言だったのだろうか。もしそうなら、「クリントンさん、おぬし、やるな」である。(大竹洋子)
                       

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