付録

APPLET is here!


われら猛虎党

松村 邦洋(タレント)

 子供のごろからタイガースファンの親父にそだてられた僕には、風呂に入れば親父の阪神クイズが待っていました。答えられないと湯船に沈められ2回も死にかけた僕が阪神の事を必死で調べて詳しくなったのは当然の事だと思います。また江川さんがCMをやっていたネクターの空缶が家の庭に転がっていただけで、「誰が飲んだ」と親父が怒り家族全員取り調べを受けたことがあります。

 地元の山口は近いということもあって、広島ファンが多く、朝学校につくと「どーした開幕4連敗」とからかわれ、このころから精神的に打たれ強い阪神ファンになっていきました。

 小学校時代、田淵さんが本塁打王になって時は『田淵幸一のホームラン教室』という本まで買って読みました。田淵さんが突き指をしてオールスター戦に出れず、片岡新之介さんがその年の後半マスクをかぶった時は子供心に辛かったです。掛布さんが出てきた頃は毎日新聞を切り抜いていました。朝刊を読むと、いつもブリーデンが本塁打を打っていて朝から気分がよかったものです。その他にも努力のラインバック、三振ばかりしたスタントン、足の速いアレン、江川さんに強かったオルト、天ぷらうどんが好きな、すぐ解雇になったデード、当時若くて動きのいいラム、名前からして打ちそうにないボウクレア、津田さんに強かったジョンストン、外人選手だけでも記憶に残る選手ばかりです。

 鳥人間北村照文の守備も忘れられません。巨人−阪神伝統の998試合目のダイレクトの返球、規定打席に足りてないのにゴールデングラブ賞を受賞した華麗な守備は新庄に受け継がれています。

 僕にとって最も印象に残っているのは、野村監督のID野球の基礎となったブレイザー監督就任の頃です。

 小林が沢村賞、掛布が48本で本塁打王、真弓、若菜、竹之内の活躍で最下位から這い上がり、新しい阪神を見る事ができて本当に天国のような昭和54年でした。しかし翌55年は複雑な年でした。岡田の起用法でブレイザー解任、掛布のスランプ、天国と地獄を両方味わいました。

 その後安藤監督の機動力野球、吉田監督の60年のVを経ての低迷はご存じの通りです。それでも阪神には強くなってほしい。中小企業の社長が今年の阪神を見て「うちも資本金がなくてもやれる」とガンバッていたらうれしい。戦力補強した巨人を戦力外補強した阪神が破ったら、世の中まだ拾てたものではないと元気が出てくる。

 人気選手の打順が終るとさっさと帰ってしまうドームの客と違い、阪神ファンはたとえ負けている試合でも最後まで見て帰ります。僕は試合だけでなく生涯最後まで阪神タイガースを応援したいと思います。

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