目黒 ゴン太
しかし、宗教への誘いは、何も路上に限らず、私の周りの至る所に存在している。大学内で、サークル等として、形を変え、チラシ等を配って勧誘するもの、家まで訪ねて来て、強引に話を始め、終いには、“このままでは、あなたは不幸になる”等と言い放ち、入会を強要しようとするもの等である。この手の勧誘をしてくる宗教は、大抵、新興宗教と称されているものである。特に最近の新宗教、ミニ教団は、私の様な独身青年や若い女性をターゲットとしているらしく、とにかく勧誘が非常に多い。しかし、私も、私の周りの友人も、やはり、オウム真理教の事件以来、新宗教に対し、警戒心が養われ、差別的感情さえ生まれている為、その様な勧誘に乗ったという話は聞かないが、オウム事件以後も、日本に増加し続けていると思われる新宗教が存在している以上、それらを支える信者というものも、確実に増えている筈である。これらの宗教に関わる人々を一概に否定はできない。信仰の自由という権利は全くの人々に認められているからである。
しかし、ここで私が言いたいのは、日本人は、宗教というものに無防備すぎると思われる節があると思うのである。日本の豊かな生活の中で、家族の絆の破綻、個性を要求される様々な社会生活の中での戸惑い、平凡で退屈な日常への嫌悪の中で、宗教という神教祖という権威と思想をガツンと頭にパンチを入れられ、そのまま入り込んでいってしまうという様なことにならぬように、日頃から自分というものを考える時間を作り、様々な方面から飛んで来る思想というパンチに対して常にかまえている必要がある。現代社会の中で、神、思想等を自分というフィルターを通じて考察するのは、非常に困難であるが、避けては通れないものである。