小さな個人美術館の旅(3)
原爆の図・丸木美術館

星 瑠璃子(エッセイスト)

 打ち重なって倒れ、うめき、抱き合い、祈り、やがて息絶えてゆくにんげんたち。丸木位里・俊夫妻の共同製作による原爆の図が階上の大きな展示室に並んでいる。階下へ下りる階段の踊り場に小さく開いた窓からは、湧きたつような木々の緑。その向こうに光って流れる都幾川。こんな光景をどこかで見た、と思った。そうだ、アンジェイ・ワイダの映画「聖週間」だ。

 戦後半世紀、ワイダ監督が「地下水道」以来ずっとこだわり続けた祖国ポーランドの問題を、これでもう終わりにすると言って撮ったのが「聖週間」だった。ワルシャワ郊外の奥深い森にさわやかな風がわたり、花がゆれ、小鳥がさえずる美しい五月の一週間。そんななかで、ナチスのゲットーのユダヤ人絶滅作戦が進行する。ポーランド人は、ユダヤ人でもなく、ナチス側でもない第三者であるために、各人各様の対応を迫られ苦悩するという映画だった。ナチスドイツに対し、ポーランド人は何ができ、何ができなかったのかと映画は切なく問うていた。

 丸木夫妻は、位里さんの故郷広島で原爆の地獄を見た。二人でそれを絵にし、世界を巡回、1967年、ここ埼玉県東松山市に美術館を開いた。

 はじめてオーストラリアに原爆の図が行ったとき、シドニーの市立美術館での展覧会は三日で中止になり、館長へのリコールが始まったのだった。

 「どうしてこのような残虐な絵を描くのだ」「芸術とは美しいもの。この絵は芸術ではない」と、はじめは非難ごうごう。けれども新聞にのった一つの投書が流れを変える。絵はそのころシドニーを逃れてメルボルンに行っていたが、「考えるために見よう」と行列が続くようになり、やがてシドニーでは「なぜ追い出したのか」と騒ぎが起きて再開。開館日には一万五千人の観衆がおしかけ、警官が出動する騒動となった。一週間で八万人が見た。

 アメリカの会場では歩み寄ってきた一人のおばあさんに言われた。「わたしの息子はパール・ハーバーで戦死したのです。『ヒロシマをわすれるな』なんて勝手すぎやしませんか」。

 北海道の寺に生まれた俊さんは、「小学校三年生の頃から、絵かきになることに深く心を決めた」少女だった。「経済的にとても無理」という父を「一年だけでも」と説得して女子美に入学。上野の山の下で似顔絵を描いて苦学しながら卒業し、小学校の先生になるが、二足のわらじは履けぬと辞め、しゃにむに絵を描いている頃、丸木位里に出会った。

 きっかけとなったのは位里さんの水墨画の展覧会。その時の印象を、俊さんは後に次のように書く。「墨が奔流のように、怒濤のようにほとばしりでている絵。それは山か川か谷か水か説明がつかない。力強い人間の欲情が押し流されるようににじみでている絵。それでいて気品高く、堂々とした作品だった。」(『女絵かきの誕生』)

 やがて結婚。そして戦争、終戦――。

 「原爆の絵を描かねば、と思い経ったのは、原爆が落とされてからなんと三年も立った雨の降る夏の夜のことでした。二人して、そうだ、と、どちらからともなく言って、ぞうっとして寄りそいました。三年間もわたしたちは何をしていたのでしょう。これを原爆ぼけとでもいうのでしょうか。広島から東京に帰り、平和だ、建設だ、という言葉にぼけていたのです。いまからではおそいかしら。でもいまからでもおそくはないはずです。だれも描いてはいないのですから」


原爆の図

 その頃になって後遺症が出て、俊さんの体調は思わしくなかった。腹痛と下痢がひどく、血便が出た。でも、身体のことなどかまってはいられない気持ちだった。「このまま死んでは浮かばれない」。

 俊さんがまず描く、位里さんがそこへ墨をざあーっとぶちまける、「やりやがったな」と俊さんが消えたところをもういちど描き起こす、乾くとまた流す、描く。油絵の俊さん、水墨画の位里さんならではの共同制作だった。文字どおり「水」と「油」がとけあい、表現がリアルになりすぎることを救って、世界に類のない作品が出来上がった。ひとつの目的に向かっていたから、たがいに相手の仕事を決してケナさない。よいところを目いっぱい引き出す。芸術家夫婦はケンカをするヒマもなかった。

 その後もふたりは南京大虐殺、アウシュビッツ、水俣病、沖縄戦……と、人間を殺し傷つけるものに対する怒りを絵画に結晶させ、美術館一階にはそれらも常設されている。

 被害者として原爆の悲惨を訴えることに始まり、やがて加害者としての日本人を、そして人間そのものを問いつめて、位里さんは一昨年十月、94歳の生涯を終えた。今年85歳になる俊さんは、美術館に隣接する住まいでひとり静かに制作への炎を燃やす。今世紀、私たち日本人が何をし、何をになかったかを問い続けるように。


住所  埼玉県東松山市下唐子1401 TEL:0493-22-3266

交通  東武東上線森林公園下車貸自転車かタクシー10分

休館日 月曜日(ただし祝祭日、夏休みは月曜日でも開館)

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp