星 瑠璃子(エッセイスト)
盛岡は三つの大きな川、北上川、雫石川、中津川が市内を流れる古い美しい北の都。そのひとつ、中津河畔に「深沢紅子・野の花美術館」ができたのは、昨年、1996年秋のことだった。
そこは画家が幼い日、花をつみ、友と語りあった辺りで、最近ではめずらしくコンクリートの護岸工事がされていない自然のままの広やかな川原のそこここに、名残のわすれなぐさが咲き乱れていた。
JR盛岡駅からまっすぐに来たところが中の橋。その一つ左手、与の字橋のたもとに立つと、川に面して県民会館と向かいあうあたり、やさしげに枝を広げる桜の木の脇に白い土蔵のような建物が見える。それが美術館だった。建築家勝部民男氏の手になる建物は、盛岡市の都市景観建築賞を受賞したというが、それ自身、絵のようなたたずまいだ。
内部は思ったよりずっと広い。一階のティールームを抜けると二、三階が展示室になっていて、三階の高窓に嵌め込まれたステンドグラスは画家の長男で陶芸家、深沢龍一氏の作品。画家が好んで描いた「わすれなぐさ」を模した深いブルーが、この小さな宝石のような美術館を象徴するように美しい。建物全体も、隅々にいたるまで龍一氏のコンセプトに沿って建てられた。
美術館の見事さもさることながら、特筆すべきはその作品。あたりまえのことだが、改めてつくづくそう思わせるのだ。一見、なにげないつつましやかな野の花の、水彩スケッチを中心とした展観は季節ごとにかけかえられるというが、いまは、やまぼうし、ふしぐろせんのう、まつむしそう、てっせん、そばな……と初夏の花々がいとも涼しげにならんでいる。少しのてらいも、ためらいもない線。透明な色彩。訪れた人々はみな優しく幸福な時間をとりもどして帰ってゆくに違いない。
「いつも新しい気持ちで描くこと。いつかうまくいった描き方で描くというのではだめ。すべてを忘れて、感動して描くことが大切ね。ここが描きたいと思ったら、迷わない。迷った絵はすぐわかる。野の花だって、決して、図鑑の説明になってはだめ。茎の一本一本が、表情をもっているのね。花の付け根のところは、とても力強くて、そこをしっかり描かないと、きれいな花を支えられない」。
深沢紅子は1930年生まれ。女子美を卒業するとすぐ同郷の画家深沢省三と結婚。五人の子の母となり、主婦としての日々のなかにあっても休むことなく制作を続け、93年、楽しみにしていた美術館の完成を待たずに九十歳で亡くなった。夫省三の一周忌をすませた、まさに祥月命日のことだった。
戦争をはさんだあの厳しい時代に、女が主婦でありながら仕事を続けるということは、なまやさしいことではなかったに違いない。けれども、画家にはそんな苦労のかけらもなかった。いつもゆったりと話し、相手をいたわる気持ちを忘れなかった。どんな時にも、あわてるということがない人のように見えたが、作品を仕上げるのはじつに早かった。
「どのくらいの時間をかけられるのですか」とあるとき伺ったことがあった。
「それを聞かれるとヨワイのよ」と画家は笑いながら答えた。「百号の絵も二十号の絵も、私はだいたい三日で描くんです。一日描き終わったら、それなりに完成した絵を描いてないとだめ。次の日に死んでも、出来上がっているというように、途中の絵でもその日の終わりには満足のいくような絵でないとだめなのね」
淡々と言う。何を話しても、どんな鋭い観察も、人をつつみこんで放さぬ暖かさのなかにあった。故郷に美術館ができたのも、まずはその人柄に人々が魅せられたからだったろう。初代館長は美術館の図録第一号に次のように書いた。
「『深沢紅子野の花美術館』の誕生は、はかり知れぬほど多くの人々の待望するところでありました。それは多くのファンが、深沢紅子のほんもののやさしさに満ちた作品に心の拠りどころを得たと同じほどに、深沢紅子その人を敬愛してやまなかったことにほかなりません。」
それにしても、市民運動から生まれた美術館は全国にもあまり例のないことではあるまいか。レンガ一枚三千円運動などによる市民参加の試みは、画家の急逝によって一時頓挫するも、紆余曲折を経て、じつに六年の歳月をかけて実ったのだった。
推進力となった人々は枚挙にいとまがないか、まず筆頭に挙げねばならぬのは老舗「そぱ処東屋」の社長・馬場勝彦氏。北ホテル社長・菊池直木氏。画家の母校、盛岡高等女学校(現盛岡二高)の同窓会「白梅会」の人々もつねに心からなる助力を惜しまなかった。
そしていま、美術館は奇しくも画家と同じKOUKOというやさしい名をもつ館長を迎えた。楚々として美しく、稟として気高い、まことに野の花のような人は、エッセイスト志賀 かう子氏である。ここを守るのにこれ以上の人がいるかしら、と思わせるような逸材を得て「深沢紅子・野の花美術館」は未長く県内外の人々に愛され続けるに違いない。
住所 岩手県盛岡市紺屋町4−8 TEL 019−625−6541
交通 盛岡駅からバスE内丸下車5分
休館日 月曜日(休日の場合は翌日)
星 瑠璃子(ほし・るりこ)
東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。