失 楽 園

大竹 洋子

監督 森田芳光
原作 渡辺淳一
出演 役所宏司、黒木瞳、寺尾聡ほか
日本/1997年作品/119分/カラー

 鯖の味噌煮がその夜のおかずだったために結ばれずに終わったのは、森鴎外の『雁』の主人公たちだった。鴨にクレソンの鍋を最期の食事として、共にあの世に旅立ったのは久木祥一郎と松原凛子、「失楽園」の主人公たちである。

 新聞小説として読者の熱烈な支持を得た渡辺淳一の同名小説を、森田芳光が監督した映画「失楽園」の公開を待ちわびている人は多いだろう。男と女はここまで愛しあえるのかと驚嘆し、究極の愛と謳われた原作を、映画は順々と淡々と追ってゆく。

 出会い、すぐに愛しあうようになる出だしから、心中という形で生涯の愛を貫くまでに、男の家庭、女の家庭、そして男の職場や友人が登場し、純粋に愛を成就させたい二人に障害物がないではない。しかし、近松、西鶴の主人公たちが背負い、追い込まれた状況に較べれば、切羽つまったものはなく、心中にまで至る理由はない。両者の違いは、死ぬしか道がない、つまり心中させられた恋人たちと、自らの意思で死を選び実行に移した二人ということになるのだろう。

 現代において、成熟した男女の心中はありうるのかと自問し、性愛の世界をとことん掘り下げるのが作家の意図だという。その狙いは映画から充分に汲みとることができたし、50才と38才の恋人たちの想いも、私には違和感なく受け入れることができた。役所広司、黒木瞳の演技もよいと思う。だが、情念ということばを映画から感じるには、少し遠かったような気がする。

 文学と映画は別の世界のものである、ということがしばしばいわれる。小説でイメージをふくらませた読者に、形あるものを提示する映画監督の仕事は実にきびしく、それだけにやり甲斐があるのかもしれない。森田芳光監督の目に写り、心に宿った「失楽園」をみて、渡辺淳一氏はどう思ったのだろうか。自分の家の表札が、渡辺から森田に変わってしまったような思いを、やはり抱いたのだろうか。



映画「失楽園」 映画「失楽園」  
 
5月10日(土)全国東映系ロードショー

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