沈む護送船団
佐々木 叶

 魚や野菜と同じく、流行り言葉も新鮮なのはナマのうちだけである。「護送船団」という比喩(ゆ)も、近ごろは使い古された感じだが、それでもマスコミや政治家は、バカの一つ覚えのように、大蔵省や日銀の不祥事のたびに「護送船団方式」と繰り返している。

 「護送船団」とは、太平洋戦争のさなか、前線へ向う輸送船(民間)を、駆逐艦(官)が護衛し、輸送の安全を図ったことに由来する。バブルが崩壊し、住専問題が起こったとき、マスコミは一斉に「護送船団」という戦時用語を復活させた。大蔵、日銀と続く官民癒着、金融保護政策を批判しての用語とはいえ、戦時中の護送船団は、決して「安全」の代名詞ではなかった。

 護送船団が安全を保証されたのは、太平洋戦争初期(昭和16年12月)のマレー半島やフィリピン、グアム上陸作戦ぐらいまでで、その後は制海空権を奪った米軍の攻撃にさらされた。前線へ兵員、兵器を運ぶ護送船団は途中で、つぎつぎと撃沈され、ほとんどが大海の藻屑(もくず)と消えた。「護送船団」とは、危険な運命を約束された"死の航海"を意味していた。昭和17年、軍部は、相つぐ護送船団の撃沈対策として、船舶16万5千トンの穴埋めを考えたが、鋼材不足でメドが立たず、ついには陸軍省の佐藤賢了軍務局長が、大本営参謀本部の田中第一部長に殴られるという事件まで派生した。軍(官)も船団(民)も、すでに末期的症状であった。

 大蔵省や日銀の金融政策を、「保護・安全」を意味する「護送船団」と呼ぶのは勝手だが、歴史が教える意味や実態は、正反対の危険極まりないものであった。マスコミや政治家が、薄っぺらな片コトの戦時用語を使っているうちに、日本の"金融船団"は、大戦中と同じ危険な運命をたどり始めた。不良債権、破綻、汚職が相つぎ、その陰に米軍ならぬアメリカの世界戦略が動いている。歴史は繰り返す、というべきか、「護送船団」とは皮肉な比喩である。


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