小さな個人美術館の旅(30)
ギャラリーTOM
星 瑠璃子(エッセイスト)

 ミロのヴィーナス。ルーブルにあるあの有名な古代ギリシャ彫刻に初めて触った。といってもミニアチュールのレプリカだけれど。顔、頭、美しく張った胸、くびれた腰。右の肩、こころもち上げた左の肩。なだらかに衣紋をつくって流れる腰の布、その布の下の右の脚、少し曲げて前につきだした左の脚……。目をつぶって、両掌でゆっくりとなでてゆく。大理石の肌がひんやりと冷たい。ロダンの「考える人」も、同じように辿ってみた。ああ、こんな作品だったのか。とうに知っている、と思い込んでいたが、本当はちっとも知ってなどいなかった。手で触れて、初めて「見た」と思った。それに気付いた。

ギャラリーTOM

 ギャラリー・TOM(トム〉は日本で初めての「手で見る美術館」だ。ここでいま「レスピュグのヴィーナスからロダンの考える人まで」とサブタイトルのある「手で見る美術史展」をやっていて、私はその会場に来たのである。

 東京渋谷は松濤の閑静な住宅街。「目の不自由な人のための美術館」と聞いて、ある種の先入観をもってやって来れば、それは完全にハズレだ。そういった「施設」にありがちな福祉っぽさとか、クサミとかの全く感じられない、むしろそっけないまでに簡素な住宅風の建物である。打放しのコンクリート壁。道路からいきなり上ってゆく急な階段。こんな階段は中にもあって、三階建ての美術館はどこか僧院のようなたたずまいだが、聞けば、コンクリート、檜、黒御影のテラスの床のデザインは脇田愛二郎、正面の門のステンレスのノブは原正樹、金銷仕上げの門標(千葉盲学校の生徒が字を書いた)は平松保城、ギャラリーのドアのノブは西大由、白御影の手洗石は清水九兵衛、門脇の黒御影の道祖神は柳宗理と、それぞれ第一級の作家たちが心をこめて作ったものという。こういうのを、本当の贅沢というのだろう。

 幾つも並んだ細長い長方形の美しい高窓からふんだんに注がれる自然光で、館内は清々しく明るい。そんな中に、美術史を彩る彫刻のレプリカがゆったりとした間隔をおいて並んでいる。通常の企画展や常設展ではもちろん本物が飾られるわけで、このような展示の試みは今回が初めてという。それぞれの作品が、原寸あるいは縮小されたレプリカと、幾つかの部分に分割したり組み立てたりできる同じ大きさのものとの二体からなっていて、これはフランスの美術館のキュレイターたちの考案による「教材」なのだという。ススンでいるなあ。こんな美術史の「見方」があったなんて、驚きだ。

 金属工芸デザイナーであり、舞踊家でもある館長村山治江さんは、劇作家、演出家、舞台装置家で画家でもあった村山知義氏の養女だったが、知義氏の長男の児童劇作家、亜土氏と結婚して村山家の嫁ともなった人。治江・亜土夫妻の息子である錬さんが、ある日こんな言葉をはいたことから美術館建設を思いたった。錬さんはこう言ったのである。「ぼくたち盲人にもロダンを見る権利がある」。

 八歳の時、視覚障害になった錬さんは、あらゆる治療の手を尽くしたのだが、ついに失明してしまったのだった。土地の購入から始まって美術館の建設、開館まで、越えるべきハードルはじつにたくさんあったが、ハードルが高ければ高いほど治江さんは情熱を燃やした。そしてついに1984年、日本で初めて、そして多分世界でも類のない「手で見る美術館」が開館したのである。

ギャラリーTOM

 オープニングの「ロダンからマイヨールまで」は大成功だった。ここで初めて、目の見えない人たちがロダンやマイヨールを、高田博行や佐藤忠良や流政之の作品を「そっと、かくれて」ではなく、だれに気がねすることなく、こころゆくまで「触った」のである。「触る」とは「見る」こと。そして「見る」とは「考えること」「愛すること」「生きること」だ。開館一周年を記念して出た『彫刻に触れるとき』という美しい本があり、写真家藤原新也氏が撮った写真が、彼らの喜びに満ちた表情を克明に伝えて、それはそれだけで胸の熱くなってくるような写真集でもあるのだが、そのなかで当時筑波大学付属盲学校中学部三年生だった青松利明君は、こんなふうに書いている。

 「一番気に入ったのはジャコメッティの『小さな像』である。異常なほど細くて、デコボコの身体には何か怖ろしいものを感じる。少し前かがみで、一本の棒のように立ち尽くしているのは何を考えているのだろう。いかにも淋しそうである。人間の孤独感、人間そのものの存在の本質をいい表そうとしている、とカタログには書いてあったが、人間そのものの本質とは何だろうか。……対照的であるが、もう一つひかれた作品があった。清水九兵衛の『アフィニティ』である。これは『小さな像』のような淋しさや孤独感はほとんど感じられず、穏やかで落ち着いていた」

 オープニング展を皮切りに、年二回の企画展と常設展はその都度大きな反響を呼んだ。美術館は小さくても、中に飾られる彫刻は常に第一級の作品ばかりだ。しかもいつでも触れる――。こんなに嬉しいことがあろうか。館長、村山治江さんは、同じ本の中で次のように書いている。

 「『手で見る』――という極めて当たり前のことが、いつの頃から忘れられてしまったのでしょうか。そのことを私たちはほとんど考えないで、ずっと過してまいりました。そして、もし私が貴金属工芸という物を作る仕事をせず、目の不自由な息子を持たなかったらば、多分、死ぬまで、そのことに全く無関心で終わったに違いありません」

 その通りだ。私だってもしここに来なければ、それを知らずに終わったに違いない。そして、見たいと願いながら見られずにいる人たちが、こんなにたくさんいるということも。

 住 所 東京都渋谷区松濤2−11−1 TEL 03-3467-8102
 交 通 JR渋谷駅下車徒歩15分又は京王井の頭線神泉駅下車徒歩7分
 休館日 月曜日、年末年始

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

 東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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