小さな個人美術館の旅(29)
嫁菜の花美術館
星 瑠璃子(エッセイスト)

 私が小さかった頃、東京郊外にはまだ広々とした畑があった。水ぬるむ春ともなれば黒い土が湯気をたてていて、私は母について摘み草にでるのが大好きだった。小川のほとりで私たちは小さな籠に芹やよもぎや嫁菜を摘み、母はその晩のやさしいオヒタシをつくるのだった。秋になると、嫁菜は野菊に似た小さな薄紫の花を土手いっぱいに咲かせた。

 嫁菜の花。そんな懐かしい花の名を持つ美術館が東京中野に開館したのは、1988年のことだ。往宅街の路地奥の、小さな美術館である。作家田中澄江さんと、先年亡くなられた劇作家田中千夭夫さんのお住まいの庭に、長男夫妻がアトリエを建てて住むようになったのは、私が編集者として澄江さんのところへ伺っていた頃より少し後のことだったろうか。当時の田中さんの庭は、樹木や野草が生い繁る植物園のような所で、年に百回以上も登山をするという澄江さんが「留守中に草むしりをされるのが一番こわいのよ。雑草と間違ってむしられてしまう草花があって」とコボしておられたのを覚えている。

 そのアトリエ跡に建てられた美術館である。栗の木の脇の小さな石の階段をとんとんと下りれば、そこが愛らしい美術館の入口だ。正面は半円型のカウンター、右手にティールーム、カウンターの前の廊下の突き当たりが一階展示室、その横の階段を上れば第二、第三のギャラリーがあって、この日は見事な手作りおひなさまの展示が行われていた。田中澄江さんとお嫁さんの三田恭子さんはお留守で、長男の聖夫(たかお)さんにお話を伺った。

嫁菜の花美術館

 「オープニングは三田の弟子でもある加藤恵子さんという方の刺繍展でしたが、これが素敵なものでしてね。マスコミも大々的に取り上げて下さって、はずみがついた。それから十年。沢山の展覧会をやり、どれも忘れられないものばかりですが、特に記憶に残っているものといえば、『野の花のスケッチ展』かなあ。電車の中でスケッチブックを開いているおじいさんを偶然ぼくが見つけましてね。母も一緒だったので、電車の中で見せていただいて展覧会が決まったのです。もう亡くなられましたが、当時八十三歳になる辻野さんという方でした。後で知ったことですが、定期券をもって毎日奥武蔵までスケッチに出掛けていて、お会いしたのはその帰りだったのです。『綿入ればんてん』の展覧会も忘れられないなあ。これはあるおばあさんの持ち込み企画だったのですが、表地の絣の天然藍の美しさ、それと裏地の布の組み合わせの妙といったらちょっと言葉では表現できないくらいで、口コミで知った方々が毎日二百人も来られて恐慌をきたしたほどです。何しろ小さな美術館ですからね。カリブ海から来たフランスの放浪の画家の展覧会の時も『日曜美術館』が取り上げて下さったものだから、これはもう人が入りきれなくて……」

 楽しげな聖夫さんの話は尽きることがない。「ジャンルを問わず、世に知られない人や作品を取り上げよう」という夫妻のささやかな夢は、大きく花開いたのである。

 はじめ妻の恭子さんが「美術館をつくりたい」と言った時は、みんな冗談としか思わなかった。「美術館なんて金持ちのすることだよ。僕たちに、どうしてそんな夢みたいなことができるんだ」と、まず夫聖夫さんが反対した。

 だが恭子さんは諦めなかった。どんな美術館をつくりたいのか、少しずつ構想をまとめてはノートに記し、夫を説得していった。自身洋画家でもあった恭子さんは、年に何回か団体展に出品して、賞をもらったりもらわなかったりに一喜一憂するような画家の生活というものにつねづね疑問をもっていた。人に認められようと認められまいと、純粋に自分の喜びのために作品をつくっている人が世の中には沢山いる。人知れずひっそりと咲いている、そんな人々の作品をこの世に出すお手伝いがしたい。嫁菜の花という美術館の名前も自然に浮かんだ。

 「こんな場所に美術館を作ってだれが見にきます。それに、こんなわずかな土地にどうやって美術館が建つんです。建築費用はどうするんです」と初めは問題にしなかった澄江さんも、黙って聞いていて最後に一言「やってみなさい」と言ってくれた千夭夫さんにならって協力態勢に入った。

 「そんなことども、さまざまなことが書かれている本のようですよ」そう言って、帰りしなに聖夫さんはさりげない様子で恭子さんが書いた一冊の本、『嫁菜の花』を渡してくれた。帰って早速頁を開いた私は、読みだすや、やめられなくなり、一気に読了した。それは真摯で感動的な美術館開館顛末記であったが、それよりも何よりも、私にとってはもっと驚くべきことが書かれていたのである。三田恭子さんは、あの三田庸子(つねこ)さんの娘さんだったのだ。

 あの三田庸子といっても、いまではもう分かる人は少ないだろう。日本女子大を卒業し、日本で初めて女性刑務所長となった人である。私はこの人のことを『桜楓の百人』という本に書きたくて、ずっと探していたのだった。戦後間もなく和歌山刑務所長となって所内の民主化に力を注いだ三田庸子さんは、その体験をもとに『女囚とともに』なるドキュメントを出版し、それは映画にもなる話題の本だったのだが、なぜか行方がしれない。生きておられるものなら何とかして会いたいと八方手を尽くしつつ、とうとう時間切れとなってしまったその人が、なんと三田恭子さんのお母さんで、映画「女囚とともに」のシナリオを書いたのが田中澄江さんだったとは。

 病気をもつ長男聖夫さんをかかえて悪戦苦闘していた田中澄江さんと、早くに夫を亡くし、足が不自由な長男青史さんと幼い恭子さんを育てながら、女囚の身分改善のために骨身を削った三田庸子さんと。二人は見えない糸に操られるようにして出会い、意気投合し、やがて二人の息子と娘が結婚して、ここにこんな美術館が開かれたのである。そして私はといえば、嫁菜の花に導かれてようやくここまでやってきた。ちなみに四人のこどもを育て上げ、後に絵描きとなっていまも日々制作に余念のない私の母は、田中澄江さんと同い年の今年九十歳。すでに亡くなられた三田庸子さんとは大学の同窓生である。

嫁菜の花美術館

 住 所 東京都中野区野方1−25−9  TEL 3387-7777
 交 通 JR中央線中野駅北口より(3)番バスで野方警察前下車徒歩5分
 休館日 月曜日(祝日の場合はその翌日)8月10日〜20日 年末年始

星 瑠璃子(ほし・るりこ)

 東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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