捜査の油断
佐々木 叶

 新井将敬代議士の自殺を耳にしたのは、昼下りの赤坂の路上だった。店先に停ったトラックの運転手が店員に何やら大声で話していた。「やっぱり、自殺したよ」。一瞬、「新井代議士のことか」と思い、TBSに立ち寄ったら「特番・特番」と大騒ぎしていた。

 新井代議士の自殺には予兆があった。逮捕許諾の前夜、後は記者会見で「もう、みなさんのところへ帰ってくることはないでしょう」と発言した。拘置所行きを覚悟しての言葉か、それとも、この世との別れを意味してのことか。テレビを見ていた部外者の筆者でさえ、妙な予感が走ったのに、当の検事たちはピンとこなかったのだろうか。自殺当日、検察幹部が「所在がつかめなかった」と語ったことからみて、逮捕予定者への尾行さえしていなかったことが分る。何とも間抜けた話である。

 トラックの運転手でさえ「やっぱり」というほど、新井代議士は追いつめられていた。彼は少年のころ、在日朝鮮人の両親とともに帰化した人間である。まして国会議員としての逮捕が、どれほど屈辱であるかを、人一倍、過敏に受けとめていたのではないか。差別と偏見をくぐり抜け、政界やマスコミからも見放された彼にとって、屈辱から逃れる道は、自殺しかなかったのであろう。もとより自殺の原因は新井本人にある。だが、検察が彼の身辺や在日者としての深慮心理を読みとれなかった不手際は、余りにも迂闊すぎる。

 検察は、政治家の逮捕に慎重である。開会中の不逮捕特権や逮捕許諾のカベがあるからだが、慎重さが時に裏目に出ることもある。新井代議士の場合、許諾請求直前に任意出頭を求め、本人の弁明を聴いた。政治家への配慮とはいえ、逮捕までの空白を作った。予期せぬ自殺は、その空白のなかで起こった。

 相手がだれであろうと、「取調べ即逮捕」は、一気に断行すべきだ。無用な配慮と捜査の油断が、「自殺」を招き、事件を殺したのである。


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