ビックリニッポン日記 (27)

目黒 ゴン太

 先月末、新井将敬議員が、都内のホテルで自殺したニュースは、大変驚かされたが、その後、故人の妻である真理子氏が、衆院補選に出馬する意向を表明した時は、今度は驚きはなく、少々あきれた。

 結局、真理子氏は、翌日には、出馬を取りやめたが、当初は「夫の無念を晴らしたい」としていた。ここにある"無念"とは、周知のことではあるが、証券取引法違反容疑を否定し続け、それを背負ったまま、死をもって決着させることを選ばざるをえなかったことについてであるろう。これら一連の容疑が、事実であったかどうかは、わかりかねるし、又、自殺することについても、全く理解しかねるのだが、私は、彼女の今回の行動の動機が最も納得ゆかない。選挙という場において、私達有権者は、国政への代弁者を選び出さなくてはならないはずであり、今回の考えにある様な誰かの"弔い合戦"の場では決してないのである。

 しかし、残念なことに、この日本では前述にある考え方は、とてもメジャーなことであると言える。いわゆる二世議員と呼ばれる人々が、想像を遥かに超える数で存在していることが、何よりの証拠といえよう。親類議員の築いた地盤をそっくりそのまま受け継ぎ、政界へと入って行く訳である。だからといって、二世議員の人々自体が、真剣に政治について考えていない訳ではないだろうが、しかし、こうゆう体質がまかり通っている限り、新しい風を政治の世界に吹き込むことは、大変困難だろう。

 現状では、この体質をなくすことは、とても難しい。政治の世界に入る為には、選挙に出る為の多額の資金と、又、選ばれる為には、それぞれの地域に根付いている有権者の地盤が必要であるから、やはり、元から政界に携わっている人々が、圧倒的に有利といえるからである。しかし、私達も真剣にこの国の政治を考えるならば、悪循環となっている古い体質を壊そうという努力を選挙の際にしてゆかねばならないし、今回のような"弔い合戦"等と私情をはさんだものを容認してはならないだろう。


                

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