銀座一丁目新聞

茶説

このころ思うことなどなど

牧念人 悠々

昨今、よく夢を見る。熟睡していない証拠であろう。夢は友人とゴルフをしているのが多い。山岳コースをふたりでスタートしたのはよいのだがキャディーがついてこない。困っているところで夢がさめる。「夢は自作自演のショー」といい、また「何らかのメッセージを示す」と言われる。とすればこの夢は何事も中途半端に終わるということであろうか。人生もあと僅かである。心して行動しなければなるまい。

このところ行動半径が狭い。人とお茶を飲むわけでもないし昼食をともにすることもない。1週間に1回、市ヶ谷の事務所に出かける。楽しみは「一日一善」である。どのような些細なことでも良いことをするのである。この間は女子学生に道をを教えた。またたどたどしい歩き方をしている老婆に「大丈夫ですか」と声をかけた。自転車で出かけることが多いが歩道ですれ違う際はすべてこちらから避けることにしている。その際、頭を下げるのは女性だけであるのは不思議なことである。

週に一度市ヶ谷の事務所に行くのはこれにはちょっとした経緯がある。平成3年ころ私の著書「新聞記者入門」を中国語に翻訳して出版した中国人の息子さんが日本の大学に留学するので保証人になった。大学在学中はスポニチにアルバイトさせた。卒業後は友人たちとITの会社を立ち上げるというので事務所を貸した。その事務所がいま市ヶ谷にあるという次第。だから私はいまだに社長の肩書がつく。実際にこの会社を取り仕切っているのは同期生の娘さんである。しかもその父親は陸軍士官学校の同じ中隊の同じ区隊であった。同期生の絆は深い。

事務所は靖国神社の近くにある。歩いて10分ぐらいか。昨今は歩くのが遅くなったので倍近くかかる。それでも気分が晴れないときは靖国神社に参拝する。13人の同期生が祀られている。次の13名である。

吉田哲治 墜落・鎮東・昭和20年5月19日(陸軍少尉)
平 勝夫 プロペラに接触・杏樹・昭和20年6月6日
福島 宏 エンジン停止・温春・昭和20年6月15日
日野宣也 空中衝突・平安鎮・昭和20年6月24日
竹内 清 空中衝突・平安鎮。昭和20年6月24日
武山利起男 牡丹江で被爆戦死・杏樹・同年8月11日
仏性泰二 牡丹江で被爆戦死・杏樹・同年8月11日
豊田信哉 山に衝突戦死・東京城・同年8月12日
衣笠隆雄 山に衝突・戦死・東京城・同年8月12日
奥脇英雄 白城子で病死・平安鎮・同年10月
横田静史 シベリアで病死・杏樹・同年12月
瀬上正夫 奉天で戦病死・鎮西・昭和21年1月24日
芦沢正名 シベリアで病死・杏樹・昭和22年2月11日