初頭の老翁偶感
湘南 次郎
快晴の鎌倉七里ガ浜の初日の出を拝むことができた。沢山の人出でコロナも関係ないようだった。
さて、本年も変わらず藤沢に住む42才になる老生の目に入れても痛くない初孫が、毎年、老生の大好物、虎屋の正月特製羊羹を年賀にして年始にやって来る。律儀な愛すべき男だ。わが人生の幸せ、感激、早速仏前にそなえ、亡き両親に報告するのが恒例になっている。
本誌主幹の牧内節男君にもメールで新年の挨拶、お互いの息災を願う。彼はご承知の陸軍士官学校時代(陸士)の生き残りの同期生である。往年のジャーナリスト、スポニチの社長、さすがプロ中のプロ、本誌の文は品格あり、名文が掲載される。文は体を表すとはよく言ったもの、矜持あり謹厳で寡黙、あまり冗談も言わずいわゆる真面目人間、陸士ではこの手のヤツを「ヒカチイ」といった。もう少し朗らかにと思うが仕事上ああなったと思い、付き合いにくいが10余人にひとりの割合での残党としては貴重な人物だ。迷惑だろうが、本誌に割り込むように老生の素人の作文、不良老人の駄文を入れてくれる。恥ずかしいがこれも老生のボケ防止のあわれな努力、おゆるしの程。かれは「一日一善」を、老生は「旨いもの食って旅行がしたい」をモットーとする。人格の差歴然たり。
(急きょ挿入) 本年1月20号の本誌「牧氏茶説」「世を騒がす若者の幼稚性」巻頭の質問4行「君たちは…」幼いころ学んだ修身を思い出す。憂国の筆者の言葉が胸を打つ。若者よ、君たちは無限の将来を持っている。どうか長い経験を生き抜いてきた古老の尊い言葉を拳々服膺して、老生たちが、どんなに君たち後輩に日本のため活躍するのを期待しているか考えていただきたい。
話はまったく変わり、我が家の呼び名をご紹介しよう。まず、ひ孫は老生を「ヒイじい」と呼ぶ。孫たちは「おじいちゃん」と呼ぶ。問題はそれからだ。先日、寒い早朝、新聞をとりにポストまで寝間着ででた。二階にいる娘が「おじいちゃん、そんな恰好で外へ出て倒れたらどうする。みんなが迷惑するのよ。」と心配して叱られた。もっともなこと、有難いと思わねば。だが、待てよ、そういえば二人の娘は、ふだん老生のことを「おじいちゃん」と呼ぶ。このごろ家内までが言う。老生は彼女たちには名前を呼んでいる。ここで叫びたい「オレはおまえたちのおじいちゃんじゃネーンダ!」
行きつけの整形外科の先生が「とにかく歩け」というので寒い時は夕方だが、ふだんは朝1,500歩を歩く。近くに大きい地下汚水処理場があって地表は土で覆いグラウンドで草原になっている。80m四方はある。土は老生のヒザに優しいので散歩にもってこいの場所である。昨年いつもより早く起きたので散歩に出たところ処理場の駐車場がワゴン車で満車だ。グラウンドは数十匹の犬がひもなしで乱舞している壮観を見る。車のナンバーは他地区のものが多い。つまり早朝の運動にここまで来て放つらしい。海岸には有料駐車場以外空き地はない。うまいところを考えたグループだ。午前7時ごろ事務所に係員が来る前に、さっと車へ乗せて引き上げる。そこで問題はシモの始末だ。大は片付けるが小は垂れ流しだ。いくら汚水処理場の上だといっても公共のグランドであり、野球・ゴルフなどの練習、犬の放し飼いなど厳禁の看板が出ているにもかかわらず守る気はさらさらない。草は、始末できない小で汚染したまま引き上げる。それまで「白露を踏んで兵を練る。…」と軍歌を口ずさみながら、我知らずまわった草原の朝露は犬の小だった。早起きで初めてった知ったショックは大きい。早速使った靴、ズボンは洗濯、いい散歩場を失いガッカリだ。ああ!「白露を踏んで兵を練る…」
憚りながら長寿の秘訣はと、おのれを振り返ると、生来、酒、たばこはたしまない。現在、まだ歯が20本焼き場まで、暗くなると眠くなり、暗いうちから目が覚める。93才の家内はまだ、まがりなりにも健在であり、長女夫婦が2階で一戸を構えている。隣町の次女は車で近間の旅行や1週間に一度買い物や医者に車で連れて行ってくれる。メル友には本誌主幹の牧内君、これ以上ぜいたくは言えぬ。身体障碍者Ⅰ種のペースメーカーが埋め込んではいるものの、内臓は異常ない模様。ただし、頭の回転、難聴、眼のぼやけ、右肩筋肉の断裂、腰、膝、足首痛く、コロナの接種は特異体質で予防接種ができぬので要注意だ。
かつて、家内が夜中トイレに行くため数歩歩いてぶっ倒れた。普通の倒れかたではない。本人も原因、意識不明。すごい音で起こされ、大騒ぎとなり、救急車で入院、大腿骨骨折でリハビリ1年。老生も黄疸の退院の翌日、医師の診察中に突如、原因不明でぶっ倒れたが、横にいた家内に支えられ、けがはなく医師の手当で助かったことがある。もう、この歳になれば、いくらペースメーカーが入っていたってなんとなく原因不明で苦しまずぶっ倒れ、おしまいになることもあるだろう。ともかく前兆無く気持ちよく倒れ、以後意識不明となる。いわゆるピンピンコロリである。迷子札兼用に散歩の杖には住所、氏名、電話番号が張ってある。考えようによっては、もう96才では日めくりカレンダーで、「毎日が命がけ」ということか。「アア、今朝も起きられた」と命の尊さを思う。今日を有効に使えるのに感謝だ。また、この歳まで生かしてくれた両親の仏壇に朝の線香は欠かさない。もういい加減にと呼んではいると思うがこればかりは付き合えない。
正月のおせち料理は毎年暮れの30日配達の同じ会社から冷凍のお重を注文する。製造元を見て気がついた。京都市伏見区であった。ここは、老生の陸士時代の見習いで士官候補生として派遣されていた懐かしい思い出の地、社長に回想の手紙を出したところ、丁重な返事が来た。現在、陸軍第16師団司令部のあった「師団街道」、「第一軍道」、琵琶湖疎水に架かる星のマークがついた「師団橋」、師団練兵場は警察学校、竜谷大学用地、わが歩兵第9連隊は教育大学になっていると説明があった。青春の一コマを思い感慨一入であった。